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業火。背後の城を焼く火はますます勢いを増していた。
搦め手から城門へと、踊り狂う火の粉の熱を感じながら、佐古馬士太郎は、母の鈴貴に手を引かれて歩いていた。
母の周りを、怯えた表情をしながらも馴染みの侍女たちが懸命に守ろうと付き従う。
そして、その女・子供の集団を武具に、身を包んだ数人の武士たちが取り囲むように歩いていた。
「…」
十三歳になる馬士太郎の目は、決然とした光を称え、前だけを向いている。
わずか半刻ほど前、この世で最も尊敬する父・佐古泰邦と今生の別れを終えてきたばかりの馬士太郎であった。
「強く生きよ」と父は言った。
母を助け、佐古家の男としての誇りを捨てず生きろと言い残し、父はにっこりと微笑むと城中へ姿を消した。
己の自害と引きかえに、一族を含む女・子供の助命を申し出たのだった。
泣くものか。馬士太郎はそう思う。
父の誇りを守る為にも泣いてはならない。勝敗は戦国の習いであった。
それに、これから、父を殺した憎き敵にまみえることになるのである。
雑賀義嗣。そんな男の前で涙など見せてたまるものか。
ごおっ・・と城の一部が背後で崩れる音がし、侍女たちが悲鳴をあげても、馬士太郎は前だけを見つめていた。


馬士太郎が自分の手を握り締める力が強くなったのを感じ、鈴貴はそれに応えて愛する息子の手を握り返した。
不憫な子だと思う。
必死に前を向いて悲しみに耐えている馬士太郎を見下ろし、鈴貴はすぐにもこの腕の中に抱きしめてやりたいと思う。
だが、敗将の妻である自分の仕事はこれからだった。
夫と共に死にたかった。あの炎の中で今、最愛の夫が焼かれている。
そう思うと胸は張り裂けんばかりに痛む。
だが、共に死にたいという鈴貴の願いを、夫は聞き届けてはくれなかった。
馬士太郎のために生きよ、と夫は言った。
雑賀義嗣が信用に足る男ではないことは、良く分かっている。
今回、同盟を破っていきなり攻め込んできた。
そのことだけを見ても明らかだ。
泰邦の最後の願いを聞き届けた振りをして、嫡子である馬士太郎の命を奪うなど、義嗣にとっては何でもないことだろう。
しかし、投降より他に生きるための選択肢はないのだ。
あとは鈴貴の力に掛かっていた。
何としても、馬士太郎の命を救わねばならない。
自分とて、武士の娘であった。
若い頃から気丈な姫として知られ、薙刀を取らせれば同性に負けたことはなかった。
時にはやんちゃぶりを発揮して男に挑み、たじろがせることすらあったものだ。
負けられない。
夫の最後の願いを妻である自分が果たさなければならなかった。
ぎい・・・・と城門が重く内から開かれる。
運命に立ち向かおうとする健気な母子の前に、夜の闇が広がっていた。


「…よく来られたな」
舐めるような目である。
床几に尊大に腰掛け、兜を脱いだ雑賀義嗣は鈴貴と馬士太郎を前にしては言った。
口元に下卑た笑いが漂う。
常に風貌爽やかな父と比べると、何と品のない男なのか。馬士太郎はそう思った。
蛇の目に、狐の顔だ。こんな男になぜ父が負けねばならないのか。

馬士太郎のそんな思いを鈴貴の発した声が中断させた。
「佐古泰邦の妻として」
凛としている。
「捕虜となった我が一族郎党の助命嘆願に参りました」
にやりと義嗣は口元を捻じ曲げるように笑った。
「…鈴貴どの、であったな」
「佐古鈴貴にございます」
「佐古家に嫁ぐ前…寺石家におられたみぎりに、そちを見たことがある。覚えてはおられぬだろうが」
「…存じませぬ」
「こたびは、そなたたちには不幸なことになったが、これも世の常である」
「…」
「一族郎党の助命、聞き入れてつかわす。ただし」
一瞬の間。
「嫡子・馬士太郎の助命は叶わず」
母が息を飲む音を、馬士太郎は聞いた。
「約定が違いまする!」
鈴貴の鋭い声が、張り詰めた緊張を破る。
「夫の命と引きかえに、誰一人の命も奪わぬというお約束だったはず」
義嗣は床几に座ったまま、じいと鈴貴を見つめている。
何かを値踏みするように。

いま、自分の命が争われているのだ。
だが、その実感はないまま馬士太郎は母親を見上げた。
母の頬が紅潮している。怒りの為か、緊張のためか。
だが、美しい、馬士太郎はそう思った。
「諦めよ」
義嗣の声が響いた。
「古来より、敗れた国の嫡男が生かされた験は、数えるほどぞ!戦国の妻ならば分かっておろう」
義嗣の声が、力を放ち始めている。
戦国を生き抜いてきた男の自信に満ちた声音だ。
「仏門に入れまする!」
鈴貴は怯んでいなかった。叫んだ。
「仏に帰依させ、生涯、夫の供養をさせまする!」
「ならぬ、と言えば…どうする?」
義嗣が低く聞いた。
居並ぶ義嗣の諸将は声を失い、この対峙を見つめている。
平素からこの尊大な独裁者に意見できる臣など一人もいなかった。
義嗣の決定は絶対だ。
いかに憐れみを乞うても、それは変えられない。
この女も、泣いて地に這いつくばり、頭を下げる以外、術はない…。
だが。
「…童一人を恐れ、この程度の約定、果たせぬ男ならば」
鈴貴は頭を下げなかった。
義嗣を、睨み据えた。鋭く、言い放った。
「とうてい、天下を取る器量に足りませぬ!」
皆、息を呑んだ。暴挙か。勇気か。
ただ、敗将の妻の、凛としたその気迫に。


ゆらり…と、義嗣が、立ち上がった。
「…ほう」
一歩、二歩と鈴貴と馬士太郎に向かって歩み寄る。
周囲の気は、刃物のように研ぎ澄まされている。
誰もがぴくりとも動けない。
固唾を飲んで、次に起こる展開を見つめるばかりだ。
「儂の器量が、天下に足らぬ、と…そう、申したか」
義嗣の細い顔が、怒りの為か、青白い。血の気が引いている。
「さように、申し上げました」
「すると…その儂に討ち取られたそちの夫は、さらに器の足らぬ男ということか?」
もはや、義嗣が腰の太刀を抜き、一振りすれば、鈴貴と馬士太郎の身体は瞬時に両断される。そういう距離である。
「我が夫は」
鈴貴は義嗣の目を見据えて、言った。
「同盟を結んだ雑賀家を、信じておりましたゆえ」
だから、卑劣な裏切りに敗れただけだ…鈴貴の目は燃えながらそう言っていた。
張り詰めた沈黙が訪れた。
義嗣と鈴貴が、その視線をぶつけ合い、動かない。

「…小童」
馬士太郎は自分が呼ばれたのだと、気付いた。
義嗣は鈴貴を見据えたまま、馬士太郎に話し掛けていた。
「…生きたいか?」
「…」
馬士太郎には分からない。いや、死にたくはない。
だが、母の言うとおり、仏に帰依してどうなるというのか。
自分は父の子である。戦国武将・佐古泰邦の嫡男なのだ。
だが、生きつづけること、それが父の最後の、そして母の最大の望みでもあった。
「答えよ。生きたいか?」
「…母の申すとおり」
馬士太郎は声を絞り出した。
「母の申すとおりの人生を送ることが、私の唯一の望みにございます」
「…ふん」
鼻で笑った、ようだった。義嗣が、である。
くるり、とふたりに背を向けた。そのまま、再び床几に腰をおろす。
見据えるその表情に、薄い笑みが戻っている。
この狐のような表情の奥には、もしかして深い智謀が備わっているのかも知れない…そう思わせるような、笑みだ。
「…よかろう」
「…」
「おもしろい。儂の器量が天下に届かぬものかどうか、そちら母子に問うてやろう」
「馬士太郎。その命、助けて遣わす。ただし、仏門に入ること許さぬ」
今度は、鈴貴の目に微かな当惑の色が浮かぶ番であった。
「我が小姓のひとりとして育てる。文句はあるまいな?」


それから、数ヶ月が過ぎた。
馬士太郎は、義嗣の小姓としての日々を送り始めている。
心までは服従していない。
いつの日か、佐古家を再興し、父の仇を討つ。そのためにどのような屈辱にも耐え忍ばなければならない…と馬士太郎は思い定めている。
ただ、義嗣の小姓とはいえ、あの邂逅の日以来、馬士太郎は義嗣の面前に出たことはなかった。
義嗣の身の回りの世話は、小姓の中でも古株の、しかも選ばれた者たちの仕事である。
新参の馬士太郎には城中の瑣末な雑事が言いつけられるに過ぎなかった。
時に小姓同士の鍛錬で木刀を握ることもあったが、単調な日々が続いている。
佐古家嫡男であった馬士太郎に向けられる他の小姓たちの目は冷ややかで、語り合えるような朋輩もまだ出来てはいない。
だが、仏門に入るよりはずっと幸運である。自分はまだ、武士の子なのだ。

あの日以来、母の鈴貴にも会えていなかった。
おそらく、この城中に囚われている。
自分の命を、あの義嗣と対等に渡り合って救ってくれた母。
毅然とした態度を、義嗣の前で決して崩さなかった母。
そんな母の身を日々案じながらも、今の馬士太郎は現状に甘んじるしかない。
壮大にそびえる義嗣の城。その天守閣をときおり振り仰ぎ、馬士太郎は母を思う。
この城のどこかで、亡き父の面影を胸に、忍従の日々を送っているのだろうか、と。
だが、母も、馬士太郎が生きている限り、希望を捨てはしないはずである。
いや、むしろ自分よりも、復讐の二文字を胸に刻みつけているだろう。
馬士太郎が知るのは、そんな母である。
いつか必ず、戦場で義嗣を討ち、母とふたりで父の墓前に報せを届ける。
馬士太郎は、ときおり、そんな夢想に酔うのだった。


「…馬士太郎」
呼ばれた。詰め部屋の手前で振り向くと、伊藤芳丸が立っていた。
義嗣の身辺の世話を任されている小姓の筆頭である。
馬士太郎よりニ歳年長だが、我が強く、弱いものに対して強い。
馬士太郎にとっては、虫の好かない男だった。
「なんでございましょう」
「…どうじゃ、たまには、庭で稽古でもせぬか」
珍しい申し出だった。芳丸はさほど腕の立つ男ではない。
父から常に剣術を仕込まれていた馬士太郎は、模擬試合で一度、この芳丸を打ち負かしてもいる。
申し出を断る理由もなかった。木刀を持ち、庭へ出る。
袴を上げてたすきを掛け、一礼して構える。
「いざ」
数合、軽く打ち合った。
と、顔を寄せた芳丸がにやり、と笑い、話し掛けてくる。
「…剣術は、亡き父君に仕込まれたのであったな」
「仰せのとおりにて」
「いずれは、その剣で、殿に復讐を果たす所存か?」
「…滅相もない。そのような」
「で、あろうな。…そちの母親のためにも、そのようなことは考えぬほうが良かろうよ」
「…?」
芳丸が、にっと笑い、木刀を引く。
「そちの母者…たいそう、美しいな。齢三十と聞いたが」
馬士太郎は、ぎょっとした。
「母上に、お会いになったのですか?」
「おう。会うたぞ」
芳丸は答えた。その口元に漂う薄笑いの意味に、馬士太郎は気付かない。
「どこで会われました?母上は…お元気であられましたか?お教えください」
愛する母のこととなると、馬士太郎も子供に還ってしまう。
思わず夢中で一歩、二歩と芳丸のそばへ歩み寄る。
「おう、元気であったわ。…心配には及ばぬ」
そう言って、芳丸は、くっくっ…と笑う。
「こ、言葉は交わされましたか? 何か私のことなど、申しては…?」
「ふむ。…そちのことは、一言も申しておらなんだ」
言葉の底に玩弄するような響きが秘められている。
馬士太郎は、ようやく何かおかしいと気付く。
「…ひと言も?本当に、母上に会われたのですか?」
「慌てるな。俺が話をしたわけではない。ただ、声は聞いたし、間近には居た」
「…?」
「…夜伽じゃ」
「…よ、とぎ?」
いまや、芳丸の笑みは、その悪意を剥き出しにしていた。
「そうじゃ。そちの母はな、昨晩、初めて夜伽を務めたのじゃ。俺はずっと寝所番であったからな。部屋に侍っておったのよ」
夜伽。その言葉の意味するところは、馬士太郎も知っている。
「母が?…だ、だれの…」
動揺する馬士太郎の様子に、芳丸は声を出して笑った。
「決まっておろうが。殿よ。義嗣さまじゃ。そちの母は明け方まで義嗣さまに御されて女の声を出し続けておったゆえ、そちのことを話す余裕など、ありはせなんだわ」

「…た、」
自分の声が自分の声とは思えない。どこから聞こえてくるのか。
「戯れが過ぎまするぞ!」
馬士太郎は自分が叫んだのだと、そこで気付く。
芳丸は、相変わらず口元に卑しい笑いを貼り付けたままだ。
目が残酷な光に満ちている。
「…ふふ。このようなこと、戯れに言うて、どうする」
「…わ、わたしの、母は」
「夫を殺めた男に抱かれるような女ではない、と申すか?」
「…」
「まあ、たしかに長く耐えた…操は立てたほうであろうな。だが、昨夜、とうとう自ら義嗣さまの寝所へ参ったわ。義嗣さまの求めを受け容れ、自ら抱かれたのじゃ」
馬士太郎の頭には、芳丸の言葉が意味をなして入って来ない。
芳丸は何を言っているのか?
母が、自分からあの義嗣の寝所へ?義嗣の求めを受け容れて?…そんなことはあり得ない。
たしかに、馬士太郎は母の女としての美しさも知っている。
父は側室を持たなかったが、城中に母以上に美しい侍女を見た記憶が、馬士太郎にはない。
だから、母が義嗣に「女」として求められることに一抹の不安がなかったわけではない。
だが、母はそんなことがあれば自害する道を選ぶはずだった。
父だけを一筋に愛していた。父からも同じように愛された。そういう母である。
義嗣こそが、生涯の仇ではないか。
「義嗣さまの腹の下で」
芳丸の声が聞こえ、馬士太郎は反射的に視線を合わせる。
「…何とも悩ましい声を上げておったぞ。そちの助命のために、義嗣さまに啖呵を切った話は城中知らぬ者はないが…簾越しに見えた腰の振りようも、なかなかの見物であったわ」
芳丸の言葉に、馬士太郎の中で、何かが弾けた。
掴みかかっていた。芳丸を庭の地面に押さえつける。拳を振り上げた。
「母を…母上をっ」
侮辱するな。そう叫んだ。
詰め部屋にいた他の小姓たちが気配に気付いて、馬士太郎を芳丸から引き離すまで、馬士太郎は拳を振り上げ続けていた。


風が吹いている。草原。二頭の馬。
先を行く見事な堂々とした黒鹿毛に跨っているのは、義嗣だ。

その後を、これまた見事な毛並の白馬が、ゆっくりと追う。鈴貴が乗っていた。
鈴貴が馬を操れると知った義嗣が、遠乗りに鈴貴を連れ出すのは初めてではない。
だが、今朝は、他に誰も伴う家来がない。義嗣と鈴貴は、この場にふたりきりであった。
手綱を手にしながら、鈴貴は前を行く義嗣の背を見つめている。細面に似合わず、逞しい筋肉がついた背だ。
そして、その背をじかに抱く感触を、鈴貴はもう知ってしまっている。
なぜ、こうなってしまったのか。殺しても飽き足らぬはずだったこの男に、この数ヶ月、じょじょに心から
篭め取られていった。そんな気がする。

「…見よ。鈴貴」
名を呼ばれた。鈴貴どの、と少し前までは呼ばれていた。一瞬そんなことを思い、それから、ゆっくりと義嗣が
示した方角へ目を向ける。
「ここからの城の眺めが一番良い。どうじゃ、美しかろう」
馬を止めて、義嗣が言う。
小高い草原からは天守閣が一望できた。領内を流れる川。城下町。田畑の青。
初夏の陽光の中ですべてが鮮やかに映えている。

…あの城のどこかに、いま、馬士太郎もいる。
ふと、愛する息子のことを思った途端、鈴貴は自分の肌が変に熱いことに気付き、狼狽した。

昨夜の情事の名残をとどめている。途中からを、鈴貴は覚えていない。
「乱れたな」正気に戻った時、義嗣にからかうように言われ、鈴貴は少女のように背を震わせて泣いた。
馬士太郎の顔が、自分を睨んでいる。そんな気がして鈴貴は、激しい羞恥に襲われた。

「…共廻りも連れず」
鈴貴は懸命に冷淡を装い、義嗣に言う。
「良いのでございますか」

義嗣はじっと鈴貴の顔を見た。笑う。狐に似た顔だが、無知な者のそれではない。
「何を警戒せねばならぬ、そちか?」
「…」
「ふふ。いつもと違うな」
「…何が、でございますか」
「鞍に腰が座っておらん。儂の感触がまだ、そこに残っておるか」

鈴貴の頬が、さっと朱に染まった。
身体が熱い。もっと風が吹いて欲しい。
鈴貴は、そう願った。

夜の闇と静けさが、城内を覆っている。
鈴貴はふわり…と、薄桃色の襦袢の、帯を解いた。
解いた帯をそっと落として、そこで手を止める。
夜具にあぐらをかいて自分を見上げている義嗣の目を、しばらく見つめ返した。
夜伽を、もう四日続けて、命じられている。

「…どうした。脱がぬか」
義嗣が、促した。細面の、ともすれば狡猾に見える顔だ。だが、この表情の奥に、底知れぬ何かがあることに
気付いたのは、いつからだったか。
夫は逞しく爽やかな男だった。そして、それが全てだった。鈴貴には夫がどういう時に何を考えているかが、良く見えた。
だが、この男は分からない。そこに惹かれてしまったのか。
夫は、目の前の男に比べて、何かが足らなかったから、敗れたのか。

「…灯を」
消して欲しい、と鈴貴は表情で訴えた。簾の内部に、火の点った燭台が2本、立っている。
30畳におよぶ広い寝所だ。奥10畳ほどが夜具の敷かれた褥の空間であり、天井から吊った簾で区切られている。
廊下に面した出入り口あたりには馬士太郎と同じ年齢ほどの小姓が座していたはずだ。
そちらの方が暗いから、簾の中の行為は外から伺えるだろう。
自分の姿が、簾越しとはいえ小姓に見られてしまう。それがたまらなく羞ずかしかった。

義嗣は黙っている。鈴貴の要求を意に介さない目に、絶対の自信が宿っている。
鈴貴はわずかに、諦めのため息を漏らすと、襦袢の前をゆっくりと開いていった。
その下には、もう何も付けてはいない。

(おぉぅ…)
今宵も義嗣の寝所番をしていた伊藤芳丸は、部屋の入り口に座したまま、寝所の奥に目を凝らす。
うっすらと明るい簾の内部の様子が、伺える。
こちらに背を向けていた女が、ふぁさ…と襦袢を夜具に落とし、一糸まとわぬ全裸を曝したところである。

肌が透き通るように白い。そして、柔らかそうな身体である。
腰のくびれ。豊かな丸い尻。その割れ目。芳丸の目は自然と釘付けになる。
乳房と股間を隠そうとしているのだろう。両手は身体の前に廻されている。

びくっ…と、不意に女の影が震える。
(義嗣さまが、何か申したな)
すると、身体の前を覆っていた手を、女がゆっくりと身体の両脇に下ろしはじめた。
(…手を下ろし、すべてを曝すよう命じられたか)

この光景を。
馬士太郎に見せてやれば…どうなるのか。
(…馬士太郎。どうじゃ)
先日、殴られた顎のあたりが、まだずきりと痛む。
(…そちの自慢の母は、すっかり、義嗣さまの虜になっておるわ。)
歪んだ笑いが、芳丸の頬に浮かぶ。

鈴貴は羞恥に染まった顔を斜め下に向け、唇をきつく噛んで、両腕を脇へ下ろした。
義嗣の目の前に全てを曝している。背中まで垂れた豊かな黒髪。細く通った首筋。浮き出た鎖骨。
そして、形良く上を向いた左右の乳房。その先端の二つの突起。くびれた腰のさらに下には、女のいのちである陰毛が
薄く控え目に、茂っている。

鈴貴の裸体を、義嗣は愉し気に鑑賞する。すでに隅々まで征服した身体である。
義嗣の指と舌が触れていない場所はない。だが、何度見ても飽きない。
燭台の明かりが鈴貴の裸身のあちこちに、扇情的な陰影を作っている。
「…もう」
耐え切れぬように鈴貴が言った。見るのはやめて欲しい、と許しを求めている。

「…よし。来よ」
「あぁ…」
ようやく義嗣に許され、鈴貴はがっくりと夜具の上に膝を付く。
それから、のろのろとにじり寄り、義嗣に仕込まれた前戯のための姿態を取りはじめる。
義嗣に背を向け、そのあぐらの中に豊かな白い尻を預けて座るのだ。
(浅ましい…)
鈴貴は自分の姿を想像して羞じらう。だが、身体の芯が熱くなる気がするのはなぜなのか。

義嗣の右手が、するりと鈴貴の脇の下から通され、右の乳房を包んだ。
「…ぁッ」
節くれだち、日焼けした逞しい手が、鈴貴の量感のある乳房を、ねっとりと揉みはじめる。
それだけで鈴貴は鼻からくぐもった息を漏らしてしまう。
身体をのけぞらせ、義嗣の厚い胸板に、己の背を押し付けてしまう。
義嗣の左手も、右手と同じように脇の下から通された。
むんず…と包み、鈴貴の白いふたつの乳房を、荒々しく揉みしだく。
「…あッ…あーッ」
鈴貴の背骨を、びりり…と電流が走り抜けていく。

「…鈴貴」
義嗣は鈴貴を乳責めにしながら、その耳元で囁きかける。
「どうじゃ?…やはり、儂の器量は、天下に届かぬか?」
「…んッ…」
辛そうに眉を寄せる鈴貴を見て、義嗣は、にやりと笑う。

初めて自分の前に引き出された日の鈴貴を思い出す。
自分を全く恐れぬ女になど、しばらく会わなかった。この国のほぼ半分を手中に収めた今、誰もが皆、義嗣を畏怖している。
逆らえば殺される。重臣すら義嗣には意見ができない。
だからこそ、新鮮だった。「器量が天下に足らぬ」と居並ぶ家臣達の前で痛罵された。
その女がどの程度のものか、試してみたかった。
身体を開かせるのに、数ヶ月かかった。それなりに、長かったのだろう。

(…だが)
義嗣の指が、乳房の頂上の突起を、こりっ…と摘んだ。
桃色の乳首は義嗣の愛撫に負けて、すでに固くしこっている。
「…ひッ!」
鈴貴が汗にぬめ光り始めた裸身を、海老のように反らせた。
(すぐに、身も心も雑賀の女にしてやるわ)
冷たい光を目に宿して、義嗣の指が、鈴貴の可憐な乳首を転がし、押しつぶし、蹂躙する。
「…!いッ……ッ」
「まだ早いぞ、鈴貴。そうたやすく乱れては、泰邦どのと馬士太郎に悪かろう」
「…あーーッ!…」
夫と息子の名を出され、鈴貴の総身がぶるぶると、震えた。
恨むように顔を反らせて、義嗣を仰ぎ見る。
「……ひ、ひどうございますっ」
その唇をあっという間に奪われる。義嗣の舌がぬるり、と口腔に侵入する。
「…ん…んんむッ…」
口を犯された鈴貴の目がみるみるうちに潤み、そして、ゆっくり閉じられていく。

(…義嗣さまは、よほどあの女に御執心のようじゃ…)
簾の中の様子を伺いつつ、伊藤芳丸は少し呆れながら、そう思う。
義嗣が四日も続けて同じ女を寝所に呼ぶなど、かつてなかったことだ。
(…まあ、あれだけの器量なら、続けて抱きたくもなるというものか…)
それにしても、責めるものだ。芳丸はごくり、とまた唾を飲む。

いま、義嗣は、夜具の上に仰臥させた鈴貴の両脚を大きく開かせ、自分の両肩に担いでいた。
そして、鈴貴の上にのしかかりながら、己の剛直を、深く鋭く鈴貴の中心に埋め込んでいるようだ。

角度を付けて何度も何度も、その逞しい剛棒で鈴貴の蜜壷の壁を擦りあげ、中を抉りぬく動きを続けている。
鈴貴は義嗣の性技に翻弄され「…ひいーッ」「…あおうッ」と鋭い牝の鳴き声を上げ続けるばかりだ。
侍女に伴われ、寝所に入ってきた時の、慎ましく品のある風情を何度も見ているだけに、芳丸はいささか
信じられない心地でその声を聞く。
夫を滅ぼした男に性の悦びを仕込まれ、身体の奥底から歓びの鳴き声を振り絞っている。
(…戦国の女は、魔性じゃ)
芳丸は、ふとそんなことを思う。

芳丸は、なおも簾の奥の様子を凝視し続けている。

義嗣が、鈴貴の脚を両肩から下ろし、そのまま鈴貴の上半身を抱き上げた。
今度は、繋がったまま、正面に向き合う形を取ろうというのだろう。
抱き起こした鈴貴の耳に何事か囁くと、鈴貴がいやいやというふうに首を振る。
何を言われたのか、ひときわ羞ずかしそうに頭を振るその姿は、甘えてさえいるように映る。
重ねて何事かを耳元に吹き込まれ、鈴貴は義嗣の首に白い両腕を絡みつかせ、義嗣の口に自ら吸い付いていった。
顔をぶつけるように口を淫らに舐めあい、唾液を混ぜ合う。
じゅる、じゅるっ…という淫らな音が、芳丸の所まで響いてくるようだ。

やがて唇を離した義嗣が、鈴貴の耳にまた何事かを吹き込む。
息を弾ませながら、鈴貴が、のろのろと義嗣の首に廻した腕をほどく。
そのまま、義嗣は夜具に仰向けに伏したようだ。
鈴貴は、まるで排泄をする時のような格好になり、義嗣に跨っている。
両手を義嗣の脇に付いて身体を支えながら、義嗣の剛直を己の性器で食い締め、両足を大きく開いて、踏ん張っているのだ。
義嗣が命じたらしく、やがて鈴貴は、荒い息遣いをこぼしながら、はしたなく、尻を上下に揺すり始めた。

「…ッ、あッ」
声が漏れる。仰向けになったまま動かない義嗣の上で、鈴貴の白い尻だけが揺れる。
豊かな乳房がぷるん、ぷるんと波打ち、尻のあわい目に、鈴貴の愛液に濡れそぼった義嗣の剛直が現れては消える。

もはや快楽の奴隷となっている鈴貴は、恍惚の表情をたたえながら夢中で豊満な尻を振りたくる。
己の蕩けきり、開ききった膣奥に、何度も何度も義嗣の剛棒を受け容れては吐き出し、また深深と受け容れる。

「はあッ…はあッ…あー…ッ…あッ、あッ、あッ」
いちばん感じる場所を自分で探り当てたのか。鈴貴の動きが激しく小刻みになった。
義嗣の腰に必死で尻を擦りつけ、円を描くように何度も何度もうねらせる。
芳丸は喉が渇くのを感じる。あまりに淫らで、そして美しい。淫蕩で壮絶な美しさ。
芳丸は鈴貴の痴態から、もはや目が離せない。

やがて、鈴貴が、もう耐えられぬというように、尻を振りながら啜り泣きはじめた。
ひっ…ひっ…と涙を流しながら、尻を振り続けている。
それが合図であったかのように、義嗣の両手が、下から鈴貴のふたつの乳房に伸びた。
荒々しく掴み取り、そして、節くれだった指で、鈴貴の形の良い乳房を、一気に、ぐにゃり、と握りつぶした。
「ひ、いい…ッ、ぃひいーーーーーッ…!」
瞬間、鈴貴はふいごのような叫び声をあげた。
海老のように背を反らせ、雷に打たれたように、びくびくっ…びくびくっ…と総身を痙攣させる。
ぶじゅっ…じゅっ…と何かの水音がした。
次の瞬間、鈴貴は、涎を垂れ流しながら義嗣の腹に崩れ落ち、白目を剥いて、悶絶した。

「明晩、俺に付いて、義嗣さまの寝所番をせよ」
そう言われて、馬士太郎の心臓がどくん、と跳ねた。

伊藤芳丸に直接声をかけられるのは、1ヶ月ぶりである。
母が義嗣に抱かれたと聞かされ、怒りに任せた掴み合いを演じたあの日以来、芳丸は馬士太郎に接近して来なかった。
別に馬士太郎の腕っぷしを恐れたわけではない。自重しているのだった。
君主である義嗣の寝所での様子を他人に漏れ聞かすなど、ひとつ間違えば斬首されても文句の言えぬ越権行為である。
馬士太郎の動揺する顔見たさについ口に出したものの、それ以上は芳丸も危ない橋を渡るつもりはなかった。
だが、芳丸は、自分が寝所番を勤めた翌朝に限って、馬士太郎に向かい、何か言いたげなにやにやとした笑みを
見せるのだった。
その芳丸が、明日の晩、寝所番として自分に付き従え、と命じてきたのである。
(…何の意図か)
馬士太郎は思わずにいられない。芳丸のあの言葉を反芻せずにはいられなかった。

−−そちの母は明け方まで義嗣さまに御されて女の声を出し続けておったゆえ…

(…嘘じゃ。真っ赤な嘘に決まっている)
思い煩っても詮無いことだった。
今、自分は義嗣の小姓であり、その上下の組織の中で動くほかないのだ。
まだ13歳の馬士太郎に、それ以外の生きる術を思いつけるはずもなかった
「…承りました」
そう返答すると、芳丸はにやりと笑い、そのまま背を向けて歩み去った。
(…明日の晩か)
この城に入って以来、初めて、間近に義嗣の姿を見ることになるのか。
義嗣、と思うだけで、馬士太郎の心の内にめらめらと復讐の二文字が燃え盛る。まだまだその時期ではない。
だが、この恨みを決して忘れまい、と思う。
今は、義嗣という仇の一挙一動を見てやろう。そして、目に焼き付けて覚えておくのだ。
いつか義嗣を討つ時に、そうした観察が、自分の役に立つであろう。

(…それまで、羊の仮面を被って、生きてみせる)
馬士太郎は、改めて胸のうちで誓うのだった。

嫉妬。
これがそういう感情なのだ、と気付いて、ここ数日の鈴貴は戸惑っている。

もう7日の間、義嗣から音沙汰がない。
亡き夫は、側室を持たなかった。だから、他の女の存在に心を悩ませた経験が、鈴貴にはない。
だが、義嗣は複数の側室を抱えている。おそらくこの5日の間、寝所に自分ではない女を呼び、抱いている。
そう思うと、かあっ…と身内の血が燃えた。
(…どうしてだろうか)
これまで知らなかった自分の姿を見せ付けられるような気がする。こんな淫蕩な女ではなかったはずだ。

昔から鈴貴に仕えてきた侍女の桔梗は、最近、鈴貴に対して取る態度を決めかねているように見える。
無理もない。尊敬して仕えてきた鈴貴が、今では夜な夜な憎き仇の寝所へ、襦袢ひとつの姿で
通うようになっているのだ。
鈴貴より15歳も若い桔梗には、最近の鈴貴が別の生き物のように見えているのだろう。

鈴貴も言い訳がましいことを口にすることが出来ない性分だ。
確かに、自分はいま、夫を殺めた憎むべき男に抱かれるようになっている。
夜な夜な義嗣の閨房で女の歓びを極めさせられ、何度も何度も果てる身体にされた。
だが、そんなことは自分に仕える立場の桔梗に説明すべきことでは、ない。

鈴貴とて、ただ大人しく抱かれているばかりではない。
「側室になれ」という義嗣の誘いを、実は、鈴貴はずっと拒んでいる。

都から招かれた義嗣の正室はお飾りのようなもので、西の丸で隠居のような生活を送っていると聞く。
義嗣との間に、子は生まれていない。
義嗣がもうけた子はすべて側室との間のもので、男が一人、女が四人だと、以前、義嗣に寝物語に聞かされていた。

「儂の子を、元気な男子を産め」
義嗣は鈴貴にそう言う。
「儂は天下を取りつつある。儂の子を産むということは、天下人となりうる子を産むということよ」

そうだった。側室になるということは、義嗣の子を孕まされても文句は言えぬ。
というより、孕まなくてはならぬ。自分が義嗣の子を産む女である認めることであった。
それは恐ろしかった。愛する馬士太郎の顔が、心に浮かんだ。

ただ、そんな鈴貴に、義嗣は強引に己の精を射込もうとはしないのだった。
すでに身体は義嗣の手管に負け、何度も何度も堕ちている。孕ませようと思えば義嗣は出来たはずだが、
鈴貴が承諾するまでは、それをしようとしない。
そんな義嗣の意外な一面にも、鈴貴の心は揺れていたのである。

最後に抱かれたのは、七日前。
「…身体が馴れれば、心も馴らされていくものよ」
鈴貴に添い寝し、鈴貴の髪を優しく梳かすように撫でながら義嗣は言った。
たった今絶頂を極めさせられ、息絶え絶えに夜具に仰向けに横たわる鈴貴。
その波打つ腹から下腹部にかけて、大量の義嗣の精液が飛び散っていた。
義嗣はそれを指ですくうと、喘ぐ鈴貴の口の中に、ねじ込んだ。
「…む、んぐっ」
か細く抵抗した。だが、義嗣の鋭い眼光が真上にあった。舐めよ、と命じている。
鈴貴は、やがて、弱く舌を使いはじめた。
それを思い出す。桔梗があの自分を見たら何と思うのだろう。
鈴貴の身体が、熱くなる。

廊下を渡る音がした。
この昼の時刻、鈴貴の居室に渡ってくる者といえば、義嗣の小姓くらいしか思いつくことが出来ない。
鈴貴の胸が、不意に、とくん…と鳴った。

足音は、予想通り鈴貴の居室の前で止まった。障子の向こうに気配がする。
「鈴貴様」
声がした。鈴貴は、ゆっくりとした挙措で上座に姿勢を整え、それから桔梗に障子を開けるように命じる。
開いた障子の向こうには、何度か顔を見たことのある小姓が平伏していた。

「ご機嫌麗しゅう存じます」
まだ幼い小姓である。義嗣の情婦になってしまったとは言え、鈴貴の備えている気品の前で緊張しているのが分かる。
(…馬士太郎と同じ歳の頃だろうか。)
鈴貴は内心でそんな小姓の緊張を微笑ましく思いながら、答える。
「…はい。何用でございましょう」
「殿からのお言葉です。…今宵は、殿の寝所へお渡りになられますよう」

鈴貴は、身体が震えるのを感じた。そして、鈴貴は、ついに認めざるを得なかった。
七日ぶりに義嗣の「夜の相手」を命じられた。そして、自分に芽生えた感情。
それは、歓びだった。しかも何と深く鋭い歓びだったことか。まるで雷に打たれたような。

(…私は、あの逞しく不遜な男に)
虜にされた。
はっとして鈴貴は桔梗を見た。自分は今、微笑んでいなかっただろうか。
そんなことはない。桔梗の視線がどこか責めるようだと感じるのは、気のせいだ。
「…承りました」
やや間を置いて、鈴貴は答えた。だが、落ち着いて答えたつもりの声が震えていた。
動揺を見抜かれたような気がして、鈴貴は居たたまれない羞ずかしさに襲われる。

月が雲に隠れている。静かな、城の夜である。
一の丸に足を踏み入れるのは、馬士太郎にとって初めてのことだ。
この暗く長い廊下の奥、突き当たりに義嗣の寝所がある。

向かう途中、先ほどから黙ったままだった芳丸が、中ほどで足を止め、口を開いた。
「…少し待て。馬士太郎。話がある」
「…」
「分かっているであろうが、義嗣さまの寝所をお守りするのが我ら小姓の役目。いかなる粗相も許されぬ」
「…わきまえております」
「さすが、戦国の雄であった相良泰邦の嫡男。よい分別よ」
務めて無表情に答えた馬士太郎に、芳丸は、わざと大げさに頷いてみせた。
「義嗣さまは、毎夜、夜伽をなされる。…そちは、男女の睦み合い、目にしたことがあるか?」
13歳の馬士太郎である。いささかの知識はあるとはいえ、具体的に男と女の営みがどのように行われるか、しかと
知ってはいなかった。黙ったままでいると、芳丸は、薄い笑みを、頬に浮かべる。
「まあ、良いわ。ふふ。…先に教えておいてやるが、今宵の、義嗣さまの伽の相手は、前にも言ったように、そちの母よ」
途端、馬士太郎は、自分の血がすうっと全身から引いていくのを感じた。
足からぐらりと崩れ落ちるような気がして、思わず両足を踏ん張る。
「俺が言ったことが嘘でないとじきに分かる。馬士太郎、聞くがよい」
芳丸は続けた。
「敗れた国の女が、勝った国の男のものとなるのは、すなわち道理。そちの母ほどの器量があれば、
義嗣さまに見込まれるのが自然のなりゆき」
馬士太郎は芳丸を睨み据えた。夜の帳の中で、その目が、異様な光を放ちはじめている。
「義嗣さまのお手つきになるのは女の名誉じゃ。馬士太郎、よいな。今そちは、義嗣さまの小姓ぞ。
今宵は自分の役目を果たすのじゃ」
「…」
「…ふふ。だが、案ずるな。そちの母は、確かに気丈だが、床の中ではすっかり義嗣さまに蕩かされておるゆえ」
芳丸は、ここではっきりと、馬士太郎に向けて笑った。
「義嗣さまに自ら進んで身体を開いておることがそちにも分かるであろうよ。母の幸福を願うのも子の務めなれば、
それでそちにも踏ん切りがつくであろう」
芳丸はそう言うと、呆然とする馬士太郎を尻目に、暗い廊下を歩き始めた。

馬士太郎は、義嗣の寝所の入り口で、伊藤芳丸と二人、座していた。
まだ寝所は、ふたりのほかは、無人である。
伽の相手が先に来て、義嗣を待つ。そういうことなのか。
馬士太郎はずっと無言だ。13歳の幼い心は、どうしようもないほど乱れている。
自分が置かれている状況が、作り事のように思えて、現実感がなかった。
これから、自分は何を見、何を知ることになるのか。

廊下を、誰かが近づいてくる気配がした。
床に擦れるような足音。男のものではない。
馬士太郎の、動悸が早まった。どくん、どくんという心臓の音が夜に響く。
(…嘘だ)
目の前の障子が開いて、そこに愛する母が立っているなどということが、本当にあるのか。
その母は、ほんとうに、義嗣に抱かれるために、やってくるのか。
障子の前で、足音が止まった。
(…母上であるはずが、ない)
馬士太郎は唇を噛んだ、下を向く。喉がからからに渇く。
障子の向こうから、声がした。

「…参りました」

どくん、と心臓が跳ねた気がした。
誰より、良く知っている。その声。数ヶ月ぶりに、やっと、やっと聞けた声。
だが。その母は。
その母は、憎むべき仇に、その身体を捧げるためにやって来たというのか。
障子の向こうから、そんな馬士太郎に、容赦なく次の声が振り落ちた。

「…鈴貴でございます」

頭の奥がぐらりと揺れた気がして、馬士太郎は己の膝を強く握り締めた。

芳丸が、すすっ、と障子に歩み寄り、ゆっくりと開いていく。
馬士太郎は目を上げられない。芳丸の向こう側で、下を向いたままだ。
「…どうぞ。鈴貴どの。殿は、じきに参られましょう」
芳丸が言った。
「…はい」
母は、そう言った。頷いたようだった。
廊下から一段高くなっている部屋に、足を踏み入れてくる。
そして、いつもとは違う小姓が、芳丸の傍に座しているのに気付いたらしかった。
だが、すっ、とそのまま、通り過ぎた。

今から男に抱かれる自分を小姓に見られるのが恥ずかしく、いつも鈴貴はことさら寝所に入ると歩を早めて、
義嗣を待つための閨へ向かう。今夜もそうしたに過ぎない。
暗がりの中で、顔を下に向けている小姓が誰なのかをわざわざ確認しようとは、しなかった。

母の足音が部屋の奥へと向かっていく。馬士太郎は、わずかに顔を横に向けた。
そして、見た。愛する母の後姿を。
後姿であっても、馬士太郎が見まがうはずもない。

母は、白の襦袢ひとつを身にまとっていた。
闇の中に、襦袢から覗く白い足首が、生々しく浮かび上がっていた。

「…母…上…」
うめくように小さく漏れた声は、鈴貴に届かない。
鈴貴は、女らしい仕草で簾をあげてゆく。
そして、わずかに動きを止めたあと、そのまま、男を待つための閨房へするり、と身を入れた。

(…ちぃ。息子に気付かなかったか)
母子の残酷な再会を期待して見ていた伊藤芳丸は、やや肩透かしを食らったよう
な面持ちである。だが、
(…それはそれで、この後に楽しみが残るというものじゃ)
と、内心で卑しい笑みを漏らしたのだが、次の瞬間、ぎょっとして身を固くした。
それは、廊下の向こうから、義嗣の足音が迫ってきたから、ではない。
芳丸には、主の足の運び方でその日の気分や機嫌がおおよそ伺える。
その経験からして、今の義嗣が、理由こそ分からぬが、不機嫌さを募らせている状態だと知り、
緊張したのである。

「…馬士太郎、殿じゃ。姿勢を正さぬか!」
小声で、しかし鋭く注意され、簾の奥を呆然と見詰めていた馬士太郎は、やや自分を
取り戻したようだった。青ざめた顔のままながら、義嗣を待つ姿勢を整えていく。
ずか、ずか、と大股に足音が近づいてくる。そして、障子が勢い良く開けられると同時に
芳丸が大袈裟に、頭を畳にこすり付けて平伏した。馬士太郎も、反射的にそれに倣う。
憎むべき敵の顔をしっかりと目に刻んでやる…といった先ほどまでの気概は、いま、
母の身を案ずるあまり、どこかに消し飛んでしまっていた。

「今宵の寝所番、相務めまする!」
芳丸が緊張した声音で言った。
ぎらり、とした目で義嗣は、芳丸を見下ろす。鈴貴と同じように、白の寝間着のみを
身にまとっている。
芳丸を見下ろした鋭い目が、やがて、その背後で平伏する馬士太郎に移った。一目で
馬士太郎だと見抜いたようであった。
「…芳丸」
それから、低く言った。
「はっ」
「…小ざかしき真似をしておるな」

義嗣の、叱責とも取れる言葉に、芳丸の血は凍り付いた。下等の小姓の教育は、
ある程度、芳丸の裁量に任されている。
その権限を利用して、馬士太郎を寝所番として連れて来たのだ。
だが、義嗣の機嫌がここまで悪いとは予想していなかった。
義嗣の不興をかえば、その場で首を刎ねられても、不思議はないのだ。
母が犯される姿を馬士太郎に見せ付けようという芳丸の卑劣な思惑を、
義嗣は当然見抜いている。そのことを、いま、どう判断するのか。
(…しくじった)
芳丸はもはや身体を動かすことすら出来ず、脂汗が身体中を伝うのを感じている。

しばらくの沈黙があった。
「…ふふ」
微かに、笑った。義嗣がである。
「馬士太郎。面をあげよ」
馬士太郎の名を呼んだ。だが、寝所の奥、簾の中までは到底聞こえない声である。
馬士太郎は、まだ青ざめた顔を上げた。そして、まっすぐに義嗣の顔を見据えた。
その目に、義嗣に対する怒りと不信、そしてたった今母の姿を見た動揺が渦を巻いていた。

義嗣はしばし、その目を見据える。
「…辛きこと、多いのう」
そう、言った。
玩弄とも、慰めとも取れる響きがあった。
「…儂も幼少のみぎり、そうであった」
馬士太郎には返すべき言葉がない。何を言って良いかが、わからない。
義嗣が自分に何を伝えようとしているのかも、分からなかった。
「寝所番、しかと務めよ」
それだけ言うと、義嗣は歩き出した。
向かう先に母がいる。母が待つ閨が、ある。

義嗣が近づいてくる気配を感じ、夜具の脇で正座していた鈴貴の身体が強張った。
七日ぶりに会う義嗣である。簾の入り口が開き、今では見慣れた顔をした男が、
閨の中へすうと入ってきた。とくん…、と豊かな乳房の奥で鈴貴の心臓が鳴った。

鈴貴は務めて冷静な風で、畳に手を付くと、今は自分を支配している男に向かって、
静かに頭を下げてみせる。
その横に、義嗣が、言葉もなく、あぐらを掻いて座った。

鈴貴の横には、義嗣をもてなすべき酒や杯が台に乗せて用意してある。
「…お酒を」
そう言った声が、また昼間のように掠れていて、鈴貴は、やや焦って言い直す。
「…お召し上がりに、なられますか?」
義嗣は黙っている。それは肯定なのだと、もう、今の鈴貴は知っている。
台から盃を取り、義嗣へ両手で押し包むように渡す。
それを鷹揚に受け取りながら、ようやく義嗣は鈴貴を見た。
「…退屈しておったか?」
夜伽に呼ばれなかった間のことを聞かれている。だから、鈴貴は答えない。
黙って酒 器を手にすると、義嗣が差し出している盃に注ぎ口を当て、ゆっくりと注いでいく。
亡き夫にも、何度もこうやって酒を注いだ。ふと、そんな思いがよぎり、慌てて胸のうちで
亡き夫の面影を覆い隠す。今の自分を、やはり、亡夫に見せたくはない。
「…ふふ。拗ねておるか」
義嗣が盃をグイと飲み干して言った。
「さようなことは」
思わず、鈴貴はむきになって言い返し、そして、はっと気付いた。自分は、今、義嗣をなじりたいのだ。
なぜ、七日も自分を放っておいたのだ、と責めたいのだ。
鈴貴の中で何かが、かあっと灼けた。
クックク…と義嗣が笑い、空になった盃を鈴貴に向かって突き出す。
鈴貴は、喉が渇くのを感じる。軽い眩暈がやってくる。到底、自分などが敵わない男の前に、座らされている。
そして鈴貴は酒器を手にし、従順に、義嗣の容器を新たな酒で満たしていく。

「…じき、米の収穫が終われば」
義嗣が酒を舐めつつ、言った。
「加納を攻める。ここ数年、包囲し続け疲弊させておったが、そろそろ、攻める頃合いじゃ」
「…加納家を」
鈴貴は思わす顔を上げ、義嗣を見て、そう口に出した。義嗣が薄く笑った。
「そちの生国…寺石家と加納家は同盟を結んでおったな。ことによっては…そちの父や兄と、儂は戦うことになろうな」
「…」
鈴貴は黙り込む。もう十数年会ってはいないが、父や母、そして鈴貴には常に優しかった兄・秀家の姿を思い出した。

そう言えば兄は、死んだ夫と、歳が近かったこともあって仲が良かった。
鈴貴の婚礼の日に初めて会い、言葉を交わすうちに、すっかり意気投合したのだった。
その後も、鈴貴が馬士太郎を身篭り、出産した折には、祝いの使者として佐古家を訪れ、
数日を過ごして帰っていった。生まれたばかりの馬士太郎と鈴貴を交互に見て、夫以上に
嬉しそうな笑顔を見せていたものだった。
「昨夜は、そちの兄と、明け方まで飲みながら語り明かしたぞ。よき男じゃ」
夫からは嬉しそうに、そう言われたことを思い出す。
(…あなた…兄上様)
兄は、そして父母は、今の鈴貴の境遇を知っているだろう。妹の、娘の無事を祈り、
義嗣に対しては憎悪の念を抱いているに違いない。

ただし、彼らが知っているのは義嗣に投降し、囚われの身となった時点までの鈴貴だ。
まさか、鈴貴が、今では義嗣の閨で義嗣が飲むための酒を注ぎ、義嗣が他の女を抱けば嫉妬に身を灼き、
全裸に剥かれて蹂躙されれば、腰を振りながら義嗣の愛撫に応えて咽び泣き、快楽を訴える女にされている、
などと…想像できるだろうか。
出来ないだろう。鈴貴の潔癖で男勝りの気性を知っている人間であればあるほど。
なのに、これほどに、自分は恥知らずな、浅ましい女に変えられてしまった。
酒を注ぐ鈴貴の手が微かに震える。
義嗣はそんな鈴貴を見ている。すべてを見透かすような目で。

思いに耽っていると、ぐい、と手を引かれた。
「…あっ」
鈴貴は軽い悲鳴をあげるが、やすやすと、義嗣の腕の中へ抱かれてしまう。
「…故郷を思い出しておったか? それとも夫のことか?」
夫のことを持ち出され、鈴貴の顔がさあっと羞恥に染まる。義嗣は、そんな反応を
楽 しむように、やはり薄く笑いながら、鈴貴の顎へ手をやると、くい、と上を向かせた。
「口開けい」
「…っ」
間近で、目を覗き込まれる。魔性の目だ。逆らうことが許されない、服従だけを強いる目。
術に掛けられるような、そんな気分になり、鈴貴の眩暈が、強くなる。
「口を開けい…と言うておる」
鈴貴の息が荒くなり、胸が大きく上下しはじめる。そして、言われるまま、口をゆっくりと開けてゆく。
じゅるっ…と義嗣が、己の唾を、その口の中へと落した。
「…飲め」
分かっている。命令されなくとも。鈴貴はこくん…と喉を鳴らした。
すると、すぐにまた次の唾液を口の中に垂らされる。命じられる前に、今度は自分から、飲み下す。
自分が潔癖だと信じてきたもの、尊いと信じてきたもの、それらひとつひとつが、義嗣の唾液を流し込まれるたびに、
汚され、作り変えられ、置き換えられていく。
これまで鈴貴が信じてきたものは意味を喪い、義嗣に新しい種を植え付けられていく。そんな気がする。
そして、今ではそこに、被虐の深い悦びが生まれはじめていることに、鈴貴は、まだ気付いていない。
「…まだ、飲み足らぬであろう?」
からかうように義嗣が言う。
ぼお…と桃源郷にいるような靄の掛かり始めた思考の中で、鈴貴は、操られるように、従順に頷いた。
「ねだってみせい」
鈴貴の吐息がさらに荒くなる。襦袢の下の乳房が、はあはぁと大きく上下する。
「唾を…」
掠れる声で、求めていく。夫を殺めた男に。
「飲ませて…くださりませ」
義嗣が、満足そうに笑った。鈴貴が大きく開いた口の中へ、また、どろり…とした唾液を垂らし込んでいく。
受け止めた鈴貴の白い喉が、こく、こく…と動いた。
じじじ…と燭台の炎が、闇に揺れる。

馬士太郎は、いま、簾の奥を凝視して動かない。
芳丸にとっては、簾の中を覗くのも愉快だが、馬士太郎の表情を盗み見るのも、これまた愉しくてならない。
(…哀れなものよな…。信じていた母が、あのような有様では。)
たった今、義嗣の勘気を蒙りそうになったことも忘れ、にい、と唇の端を歪めて笑う。
馬士太郎に芳丸のことを気にかける余裕はない。その耳目は簾の奥の光景にのみ集中していた。
燭台の薄明かりが、閨の奥で男女がもつれあう様を映し出している。
簾に邪魔されてはっきりとは見えない。しかしそのことが、逆にふたりの関係の深さを思わせる。
あの簾の奥は、義嗣と母にのみ、許された空間なのだ。
義嗣と母は身を寄せあっている。
背中から抱き寄せる義嗣に、母は一切抵抗をせず、むしろ甘えるように身を寄せ、しなだれかかっている。
母の不貞を否定できる余地が、確実に馬士太郎から、奪われていく。
そして、ふたりの顔が、ゆっくりと重なり合っていった。
母は白い喉を見せながら男の指で上を向かされ、男は覆い被さるように顔を重ねている。
母の身体が男の腕の中で艶かしく息づき、悩ましげな動きを見せている。

「…あれはな、唾を、たっぷりと飲ませておるのよ」
芳丸が言った。それでようやく、馬士太郎は芳丸がここにいたことを思い出す。
緩慢な動きで、芳丸を見る。だが、その目の焦点は、定まっていない。
「無理強いではないぞ。のう、馬士太郎。そちの母は、抗っておるか?」
芳丸は、すでに毒牙にかけた獲物が死に至るのをゆっくりと待つ蛇のような目で、馬士太郎を見る。
「…そちの母は、もう、そちのものではないのだ、馬士太郎」
芳丸の言葉は、馬士太郎の頭蓋に反響した。そして次の刹那、

「…あ…ひっ!」
鋭い声。母の声だ。暗い寝所の闇を裂くように響いた。
馬士太郎がかつて聞いたことのない声色。馬士太郎の蒼白な顔は、無意識に、簾の奥へと向いた。
母を背中から抱いていた義嗣の手が、いま、後ろから母の白い襦袢の胸元に、分け入っていた。
そしてそのまま、乳房のあたりでねっとりと蠢いている。
母の乳房を、義嗣が揉みしだいている。……母の、乳房を。
「…、く、ふぅっ!」
そして母が、鋭く、哭いた。

耳元で、義嗣がふふっ、と笑ったのが分かる。
(悔しい…)と一瞬、鈴貴はそう思う。この男が自分の前で狼狽する姿を、見てやりたい。
寺石鈴貴、いや、佐古鈴貴は、これまでの人生で男から愛されたことはあっても、支配されたことはなかったはずだ。
乳首を、こりり、と摘まれた。
先ほどから、傍若無人に襦袢に分け入って大きい手で、たっぷりと乳房を揉みほぐされていた。
官能を蕩かされ、やがて鈴貴が、鼻から、どうしようもない甘え泣きを漏らし始めるのを待って、
頃はよし、とでも言うように、義嗣はその指でこりっ、こりっと音を立てるように、乳首を挟み、揉みほぐした。
どれほど自分が乳首を尖らせてしまっていたかを、鈴貴は知る。
だが、羞恥にまみれる暇はない。乳首から迸る電流のような快感に、鈴貴はのけぞり、牝の声を上げる。
「…あ…ひ、ぃ…ッ!」
びくびくっ、と鈴貴は震え、義嗣の厚い胸板に、助けを求めるように自分の背を押し付ける。
「もう、こんなにも尖らせておったか…儂に会う前から、抱かれとうて、どうしようもなかったのであろう?…」
義嗣の意地悪い囁き。だが、それはまるで恋仲の男の囁きのように、鈴貴に甘い屈服を、促す。
鈴貴はいやいやをする。処女のように恥じらい、息を弾ませる。これが私なのだろうか。頭の片隅でそう思う。
薙刀を取れば男とすら互角に渡り合える。荒地で馬を駆けさせるのも、容易い。
この人こそ、と信じた愛する男の子供を授かり、産み、そして立派に育て上げてきた。それなのに。
義嗣の舌が、うなじを這った。尖った舌先が、唾液の線を引いて、鈴貴の白い、透き通るようなうなじを滑る。
「…っ…い…いっ…」
鈴貴の右手は、必死で夜具を掴み、握り締めている。襲ってくる快楽に懸命に耐えている。
うなじにびりびりと走る快感から逃げようと首をねじれば、義嗣にその顔をぐいと引き戻される。
執拗なまでに舌で責められる。はあはあ…という荒い息は、自分の吐息だ。鈴貴は目をきつく瞑る。だが。
次の瞬間、きつく、首筋を吸われた。同時に、乳首を強くぎゅッと潰された。
「ひぃッ!…やあぁッ!」
寝所の隅々まで届く声を、鈴貴は上げた。自制できぬ涙が頬を零れ落ちた。
鈴貴は、赤黒い被虐の悦びの中で、義嗣の牝と化していく。

「…いつになったら、儂の名を呼ぶ?…うん?」
義嗣はなおも鈴貴の耳に囁く。もう何度も義嗣に与えられる快楽に屈服してきた鈴貴だが、しかし、
まだ自分から男の名を呼んだことはない。側室となることも、頑として拒んできた。
それだけが、鈴貴に残る最後の矜持であった。
義嗣が、鈴貴の襦袢を肩口からがばあ…と、引き剥がすように、脱がせた。
「はう…っ」
白い上半身が、あらわにされる。豊かな乳房が零れ落ちた。義嗣は鈴貴を背後から抱き寄せ、
両腋の下から手を通すと、量感たっぷりの鈴貴のふたつの乳房を、荒々しく、むんず、と掴み取った。
その頂点には、義嗣の愛撫に負けた桃色のふたつの突起が、固くしこっている。
義嗣は、手に包んだ鈴貴の乳房を、しごくように揉み潰し始める。
鈴貴の真っ白な形の良い乳房が、ひしゃげ、押し潰される。
最初は痛みしか感じなかった乱暴な愛撫。だが、この数週間で、鈴貴の身体は応えるようにされてしまっている。
「どうじゃ…こういう扱いにも、感じるようになってきたか」
鈴貴は答えない。いや、答えられない。ただ、ふたつの乳房を揉みしだかれ、はあ、はあと荒い息をついて
首を振るばかりだ。押し寄せる快感はわずかな恐怖を伴い、鈴貴は必死で、義嗣の手首を掴む。
だが、そうすれば、痕が残るほど強く、乳房を潰されるのだ。
「…ひいいッ!」
義嗣の"お仕置き"を受け、抵抗が無駄だと知る。掴んだ義嗣の手を離す。涙がまた、零れ落ちる。

義嗣の右手が乳房から離れ、右足のひざの裏にかかった。すでに襦袢の裾は浅ましく乱れ、
肉付きの良い太腿が、夜具の上に白い。義嗣はそのまま、ひざの裏に手を入れ、ぐい、と大きく開かせていく。
鈴貴に、義嗣の命を伝えに来る小姓も、桔梗も、このことは知らない。
義嗣に呼ばれた夜は、襦袢の下に、何ひとつ付けることを許されていないことを。
「…やあッ…」
鈴貴の黒い陰毛が、乱れた襦袢の奥から覗く。
「ふふん」
楽しくてならぬ様子の義嗣は、必死で抗う鈴貴の左足に、自らの左足を絡めて、動けぬようにすると、
右足だけを、大きく開かせていった。
「…ああっ、…こ、このようななさり方、いやでございますっ…」
とうとう、鈴貴は哀願してしまう。
鈴貴を追い詰める作業に入ったときの義嗣は、口数が少なくなる。
鈴貴が 敗北を認め、性の快楽を自ら訴えて鳴き悶え、義嗣の男根をねだるまで、義嗣は鈴貴を追い詰める作業に
夢中になるのだった。
哀願する鈴貴に構わず、ぐい、と手を股間の奥に差し入れた。
「ああ…ッ!」
鈴貴の口から、絶望を諦めの入り混じった悲鳴が漏れる。
「…」
義嗣は、無言で、鈴貴の女の部分を指でまさぐった。豊かに溢れた愛汁が、義嗣の指に音を立てて、跳ね返った。
「いやぁ…」
鈴貴は全身を羞恥に染めた。
義嗣は、にやりと、満足の笑みを漏らし、鈴貴の秘所をたっぷりと指で弄り始める。

ひっ…ひっ…という、嗚咽のような声が、暗い寝所に、絶えず流れている。
その声はいくぶん、甘えたような響きを含み、湿り気を、帯びている。
簾の奥で義嗣と母の影は先ほどから重なり合ったままだ。
だが、義嗣に後ろから羽交い絞めされるように抱かれた母の身体は、
時折不意に、びく、びくっ…、と激しく痙攣した。
そしてそのたびに「ひ、いッ…」という小さいが鋭い声が漏れる。
必死に堪えた末に零れてしまう…そういった感じの声が、馬士太郎の耳には届くのだった。
それは誰かに救いを求める声にも聞こえたし、支配者に対する屈服の証しのようにも感じられた。
いずれにせよ、馬士太郎がかつて聞いたことのない母の声。それは、動物の本能…そういうものを感じさせた。

男と女の営みについて、まだ詳しくは知らぬ馬士太郎だ。
だが、簾越しにも、母が義嗣に、己の身体を預け切ってしまっていることは、分かる。
母は、自ら義嗣の胸に自分の背中を強く押し付けている。白い裸身をはあはあと上下に喘がせている。
両の脚は、これでもかというほど、左右に浅ましく開かされていた。
母の内腿など、物心ついてから、馬士太郎は見たことがない。
遠目にも、白く透けるようで、しかもたっぷりと肉の付いた母の太腿であった。
帯ひとつでかろうじで母の腰にまとわりつく白い襦袢。
だが、その襦袢を裂いて、股の奥に義嗣の右手は忍び込み、何かを弄るように蠢いている。
そこまでは見えない。しかし、間違いなく、義嗣は、母の恥ずかしい部分を蹂躙している。
だが、どうやって?馬士太郎にはまだそれが分からない。

それでも、母がその淫らな行為を受け容れていることは、分かった。
母の腰は前後にうねったり、円を描くように揺れながら、義嗣の指の動きに合わせるように動いていた。

「…ん?もう、達しおるか?」
不意に義嗣の声がここまで届き、馬士太郎はびくりと震えた。
母の、見てはいけない行為を盗み見ている自分を、義嗣に嘲笑われたような気がした。
「どうした、気をやりたいか?…むん?」
それまで母の耳元で囁いていた声を、もはや遠慮なく大きくした、そういう感じだ。
母の股間にもぐった義嗣の右手に、先ほどまでよりも、執拗な動きが加わっていた。激しく動いている。
その指先は今、どういう動きをしているのか。馬士太郎には分からない。
「やッ…あっ…ああっ…いやぁッ!」
母の悲鳴が大きくなった。
「そらッ、鈴貴、気をやってみせぃ」
義嗣が、母の名を、読んだ。「鈴貴」と。そう、まさしく、父だけがそう呼んでいたように。
「やッ…お、おゆるしっ…あ、あ、あ!」
母がいやいや、と弱々しく首を振っている。あの母が。強く、可憐で、凛としていた、母が。
義嗣に、父を殺した男に翻弄され、少女のように。
こんな母を、かつて見たことはない。
「今宵はしばらく呼ばなかった分、朝まで濃く可愛がってやろうぞ、のう?」
義嗣の声が、残忍な笑いを含んでいた。
母は、堕ちるのだ。義嗣の手に。それがどういうことなのかは分からない。
だが、母はもう馬士太郎の側にはいない。そのことだけは呪いたくなるほど明確に分かった。
「あッ、あっ!あーーッ!」
「いつものように、申せッ、鈴貴ッ」
「ひぃー…ッ、ひッ!す、鈴貴に…気を、やらせて…くださいませ…ッ!」
義嗣の鋭い命令に弾かれたように、馬士太郎の母は寝所中に響く声を、迸らせた。
「儂の名を呼べッ! 鈴貴、気をやってみせいッ!」
ぐちゅり。
そんな水音が聞こえた気がした。
「あ…あおうッ…!よ、…義嗣さ、ま…っ!」
母が、呼んだ。義嗣の名を。確かにそう呼ぶのを、馬士太郎は聞いた。
獣のように咆哮し、母は海老のように背を反り返らせた。
馬士太郎は、自分の見知らぬ母を、ただ、見つめた。

(ちと、薬が効きすぎたか…)
伊藤芳丸は、そう思う。
呆然自失の態で、寝所の簾奥の空間を凝視している馬士太郎の表情を見れば、
自分が仕組んだこととは言え、いささか憐憫の情が湧かぬでもない。

敬い、愛しつづけてきた母親が、父の敵の腕の中で悦楽の声を振り絞る姿を、見せ付けられたのだ。
なにも、自分より4歳も年下の馬士太郎を、ここまで追い詰める必要もなかったか。
しかし、その口の端には相変わらず卑劣な笑みが浮かんだままだ。

簾の奥は、いま、さきほどまでとは違って、静まり返っている。
夫の仇に絶頂を極めさせられた女は、いま、その仇の胸の中でどのような表情を見せているのか。
どのような放恣な姿態を曝け出しているのか。
その静けさが、逆に艶かしい。高みに押し上げられた女と、押し上げた男の、甘い囁きらしいものが、漂ってくるようだ。

鈴貴の口の中に、義嗣の指が深く埋まっていた。
鈴貴はうっとりと目を瞑り、義嗣の指に舌をからませ、ちゅく、ちゅく…と音を立てて舐め清めている。
今まで、自分の秘所をいたぶっていた指である。
鈴貴の頬も身体も、極めさせられた絶頂の余韻にうっすらと薔薇色に染まっている。
義嗣は背後から鈴貴を胸に抱きながら、鈴貴の足に自分の足をからめ、股を閉じることを許していない。
控え目に生えた陰毛に、玉のような露がきらきらと光っている。
鈴貴自身が紡いだ愛液の玉である。

義嗣は、満足そうに笑みを浮かべながら、鈴貴が舐める指を、戯れのように出し入れする。
鈴貴の頬の肉を内側からかきまわせば、端正な鈴貴の顔が、ぐにゃりとそのたびに歪む。
だが、鈴貴には抵抗のかけらもなく、うっとりと義嗣の蹂躙に身体を預けるのみである。
やがて、義嗣が、指を抜いた。
「…儂の名を、ようやく、呼んだのう」

言われて、閉じていた鈴貴の目が、うっすらと開いていく。
自信たっぷりの顔が目の前にある。
憎い。なぜ、この男はここまで、自信に溢れているのか。夫を殺した男。息子を私から奪った男。
私を犯した男。…そして、すべてを奪った男。
「…いま一度、呼んでみよ」

命じられた。男の目が言っている。従え、と。
こんなふうに支配されことはこれまでの人生にない。
私は、強かった。強く生きてきたはずだ。でも、もっともっと強い男が、この世界にはいた。
その男に支配されている。
そのことになぜか、胸が高鳴る。
鈴貴は、やがてまっすぐ義嗣の目を見詰めて、呼んだ。
「…義嗣さま」

「放っておかれて、淋しかったか」
義嗣が続けて聞く。鈴貴は、こくり、と頷いてみせた。

「…儂が、愛しゅうなったか?」
「…はい」
くっくっく…と義嗣が笑った。
この男はこれまでも、こうして何人もの女の心と身体を奪ってきたのだろう。
最初は卑しく見えた狐のような表情も、今の鈴貴には、思慮深く知的な男のそれに映ってしまっている。

「男児じゃ」
突然、そう言った。
笑っていた表情が、もう瞬時に変わって引き締まっている。
戦国の男の顔だった。鋭く見つめられ、鈴貴の胸は早鐘のように鳴る。
こういう義嗣の不思議さに、鈴貴は、じょじょに惹き付けられていったのだ。

義嗣は続けた。
「…儂の後を立派に継げる、元気な、男児が欲しい」
次に何を求められるかは、もう分かっている。
鈴貴の頭の中を、瞬時にさまざまな者の影が通り過ぎていった。
亡き夫、懐かしい家臣たち、自分に尽くしてきた侍女たち、故郷の父母、優しい兄…そして…

馬士太郎。
自分の命すら惜しくない、と愛し、育ててきた一人息子。
愛した夫との、結晶。
だが、目の前の男は、そんな鈴貴の逡巡など気にかけてはくれないだろう。
ただ従え、と命じるだろう。奪いたいものを奪い、従えたいものを従えて生きてきた男。
もしかして、自分が心のどこかで探しつづけていた男なのではないのだろうか。
もう無理をしなくてもこの男は、きっと私の迷いも含めて、導いてくれる。

「鈴貴。もはや、否とは言わせぬ。我が側室となり、儂の子を産め」
言葉に、身体を貫かれた気がした。身体の芯が、かあっと熱くなった。
今、私は、また濡れている。鈴貴は自覚した。
「…はい」
鈴貴は、このときついに、「佐古鈴貴」であることを、捨てた。

「…ッ、あッ!あッ!あーーーッ…」
寝所に、誰の耳目も憚らぬような、女の嬌声が響いている。
馬士太郎の耳にも、それは、はっきりと届いていた。
もう一刻以上の間、母の牝の叫びが、馬士太郎を貫き続けているのだった。

いま、母は、あられもなく夜具の上で四つん這いになっている。
豊かな尻を、高く義嗣に向けて、捧げていた。
その姿は、簾の奥にうっすらとだが、見まがうことなく、映っている。

母の真っ白な裸身とくらべ、義嗣は陽に灼けて浅黒い。
引き締まった武士の肉体だ。
その手はいま、母の尻をがっしりと抱えこんでいる。
そして、母の尻に、己の腰を、飽きることなく何度も何度も、繰り返し、打ち込み続けている。
義嗣が、腰を引き、打ち込む。時折、不意をつくように激しく突く。
すると、母は狂ったように髪を振り乱して、泣き叫んだ。
「はァ…ッ!い、ひぃ――ッ…!ひいいーーッ…」

時折、ぱあんっ、と義嗣は母の尻を戯れのように打つ。
すると、このときも母は、びくびくと裸身を痙攣させ、「あおうッ…」と獣のような咆哮を漏らす。
それは、馬士太郎の想像などを遥かに超えた姿だった。
もはや、この寝所に詰めることは、馬士太郎にとって地獄以外の何者でもない。
その目は母親の狂態に釘付けになってはいるが、虚ろで、思考が停まっていることを感じさせた。
そうだ。心を閉じなければ、狂うかも知れない。

「鈴貴ッ…鳴けッ、もっと鳴けいッ!」
ぱんっ!ぱんっ!ぱんっ!…と義嗣の責めが激しくなる。
尻の肉を腰が打つ音が、寝所の中に高く響く。
「あーーーッ!…あッ、あっ、あああッ!!」
母がぐうん、と山猫のように背をのけぞらせた。飛び散った汗が蝋燭の炎に触れたのか、ジュッ…という音がした。

「お、お情けを…、も、もぉッ…」
母の声に、泣き声が交じり始めている。与えられる快楽に、耐え切れないのだろう。
頭を左右に打ち振り、腰を必死で揺すっている母の姿。
(…母は、こんなに哀れだったろうか)
馬士太郎は、ふと、そんな思いに囚われる。これほど、母は、弱い女だったろうか。
「くくッ…儂の、子種が欲しいか、鈴貴ッ…」
義嗣の声が、勝ち誇っていた。自分の思い通りにならぬものはない、そんな自信に満ちている。
「……ほ、欲しゅう、ございますっ…、す、鈴貴にっ…」
「孕ませて欲しいか、鈴貴ッ!」
「…!は、…孕ませて…くださりませっ…!」
母の声が、泣いていた。奪い尽くされた女の、諦めの交じった泣き声であった。
「ようし、孕めッ!鈴貴ッ!」
義嗣が、その瞬間、鋭く叫び、そして、ズン…と音がした。えぐるように腰を突き入れたのだ。
義嗣はそのまま腰を引くことなく、さらに深く母の尻に逞しく勃起を続けていた男根をねじ込んだ。

ひゅううっ…と、ふいごのような音が一瞬、聞こえた。母が、叫ぶ為の空気を求めて喉を鳴らしたのだ。そして、
「あおおう…ッ…あおおおおおお…ッ…!!」
母が、屈服の絶叫を迸らせた。
母の胎内に今、義嗣の精液が、激しく飛沫をあげて、たっぷりと射込まれていた。

その晩、それから三度、馬士太郎は、母が犯され、義嗣の精を射込まれるのを見た。
明け方近くまで、義嗣は、疲れを知らぬように母を蹂躙した。
母の裸身は、汗にまみれ、淫らにぬめ光りながら、義嗣の激しい愛撫に応え、燃え上がらされた。

三度目のまぐわいでは、母が腰を使っていた。
真正面から義嗣と抱き合い、両足を大きく開いて、義嗣の掻くあぐらの上に白い尻を落し、
その白く脂の乗った両肢が、義嗣の腰を抱え込むように挟んでいた。
もちろん、母の秘所は義嗣の逞しい男根で、埋め尽くされている。
いっぱいに深く貫かれながら、母は、牝犬のようにハッ、ハッ、という浅い息を吹きこぼし、懸命に腰を振る。
時折、耐え切れぬように義嗣の唇を自ら求める。
唇を激しく重ね、息が辛くなると、口を離す。そして、また、腰を懸命に使い始めるのだ。
それは、もう何年も連れ添い、互いの性感を知り尽くした夫婦の夜の営みそのものだった。

最後には、母は錯乱に陥ったようだ。
腰を振っても振っても、義嗣は達してくれない。
自分はもう、さっきから何度も何度も軽い絶頂を迎えさせられているというのに。
鈴貴の性器は、もう真っ赤に充血し、腫れ上がっている。
しかし、義嗣が許すまでは、奉仕を続けなくてはならない。そういう女になったのだ。
必死で義嗣の性器を、己の性器で包み込む。締め付け、腰を上下に、左右に、振りたくる。
自分の頬を、涙が伝っていることにすら、鈴貴は気付いていない。
ヒッ、ヒッ…と泣き声を自分がこぼしていることも、分からない。
主人・義嗣は、冷たい目で、側室となった鈴貴の必死の奉仕を貪欲に受け容れているばかりである。
「…よ、義嗣…さま…っ」涙と涎に顔をまみれさせて、鈴貴は哀願した。
「…鈴貴は…も、もう…く、狂うて、しまいます…っ」

「…ふんッ!」
鈴貴の限界の哀願に合わせた様に、いきなり義嗣がぐん、と強く腰を突き上げた。
「あ…がぅあッ…!」
清楚で慎ましかった母からはおよそ想像できぬ浅ましい叫びが、馬士太郎の耳に届いた。
突然、とどめの深いひと突きを送り込まれた母は、咆哮しながら、身体をブルブルッ…と何度も何度も痙攣させた。
次にその背筋が、ぴいんと、伸び、突っ張る。
弓なりに身体をのけぞらせ、絶息したかのように、固まった。
やがて、その全身から力が失われ、背中から、夜具に倒れこもうとする。
と、義嗣が、その背に手を廻し、腕一本で、悶絶していく母の腰をぐい、と支えた。
腰を支えられた母の両手だけが、どさりと夜具に垂れる。
長く美しい自慢の黒髪も、ばらばらっ…と夜具の上に散る。義嗣の面前に、白く量感豊かな乳房が惜しげもなく曝された。

…そして、鈴貴の裸身を支える義嗣の腰が、びくん、びくん、と震えた。
今宵、三度目の射精であった。
悶絶した鈴貴の子宮に、義嗣は己の精液を時間をかけて、丹念に、流し込んでいく。
長年、自分に敵対し続けた戦国武将、佐古泰邦。
その正室であった鈴貴を側室とし、孕ませる。
鈴貴は、名門・寺石家の、娘である。
その事実が、今後の外交に、己の天下獲りに、どう働くか。どう、利用できるか。
義嗣の目は、そこまでを、見通している。
見下ろすと、己の男根が、鈴貴の膣を無惨に割り裂いて、深々と潜り込んでいた。
ふふ、と義嗣は愉快そうに、笑った。

こんな時でも、人は、睡魔に襲われる。
馬士太郎は、やや、まどろんだようだった。
無理もない。はじめての寝所番である。
馬士太郎が目を開けたのは、
「…芳丸」
という声が寝所に響いたからである。
気付くと、障子の向こうが、明るくなりかけていた。
夜が終わったのだ。狂乱の時間が嘘のように、いま、寝所は静まり返っていた。
声は、簾の奥からしたものだった。義嗣が、芳丸を呼んだのだ。
「…はっ」
芳丸が、ちら、と馬士太郎を一瞥した後、膝を畳に擦らせながら閨房の傍へ近寄っていく。

「鈴貴を、今日から東の方とする。藤乃は二の丸へ移せ。…鈴貴を迎える用意の一切を、芳丸、お前が取り仕切れ」
「…はっ」
鈴貴を正式に側室として、東の丸に住まわせる。最も寵愛する側室は鈴貴である…という意向を義嗣は示したのである。
藤乃という側室は、母に、その座を追われる。そういうことか。
母は目を覚ましている。寝所の中、無言で白い襦袢を身にまとい、身づくろいをしているようだった。
母は、このような扱いを受ける藤乃という女性を、哀れに思わないのだろうか。
義嗣の情の薄い行為を諌めないのだろうか。
馬士太郎が知っている母は、そういう女性のはずであった。
だが母の声は、しない。ただ俯いているのか、それとも。

「…湯浴みする。用意をさせよ」
義嗣の声が続いた。用意をせよ、とではなく、…用意をさせよ、と、芳丸に、言った。
芳丸が頷き、こちらを振り返る。そして、馬士太郎は気付いた。
母と義嗣が、一夜の激しい情事のあとに、湯浴みをして身体を清める。
その準備をし、湯浴みの間、ふたりに仕える役目が自分に与えられたのだ、ということを。

(これが…噂の、都風呂か)
長い一の丸の廊下を渡り、檜の総作りになっている一画へ足を踏み入れ、馬士太郎はそう思った。
入り口の扉を開けると、そこは清潔に保たれた脱衣場になっており、その奥に、さらに風呂へと続く扉がある。
入り口のすぐ脇には、小姓が待機しておくべき座所があった。
義嗣が着替えをしていれば、自然と、その姿が見えてしまうだろう位置である。
俗に言う「蒸し風呂」にしか、馬士太郎は入ったことがない。
この時代の風呂といえばそれが主流であるから、無理もない。
だが、この風呂は、檜作りの大きな湯船に湯を張り、そこに身を沈めて入浴するものであった。
都のごく一部の貴族だけの文化であったこの風呂を、数寄者の義嗣は特に命じて、この一の丸の一画に
造らせていたのである。
「…ご用意は出来ております」
しばらく、ぼおっとその造りを眺めていた馬士太郎は、不意に後ろから声を掛けられて慌てて振り向く。
顔だけは知っている小姓が、風呂の入り口に立っていた。風呂そのものの用意を命じられている小姓なのであろう。
「…いつでも、殿をご案内いただきますよう」
馬士太郎は、ぎこちなく、その小姓に一礼する。
小姓も軽く礼を返してきたが、その目に、憐憫とも侮蔑ともつかない光が浮かんでいたのを、馬士太郎は咄嗟に
見て取った。
寝所に戻らねばならない。そして、風呂の用意が出来ていることを、義嗣に告げるのだ。
芳丸が、その役目をやってくれるだろうか。
いや、それは望め得ないことであろうと自分でも、良く分かっている。
母と義嗣が待つ閨の簾の前に、今度立つ事になるのは、自分だ。
母は、今度は、気付くだろう。
そして、一夜の浅ましい痴態を、はしたない嬌声を、ずうっと息子に見られ、聞かれていたことを知るだろう。
(…そして、どうなるのか)
分からない。
どこまでも、現実感がなかった。馬士太郎は、夢遊病者のような足取りで、寝所へと戻っていく。

夜具の上に座したまま、義嗣はさきほどから何も語らない。
鈴貴は、やや所在なげに、夜具から離れた畳に正座して、義嗣の横顔を見つめている。
…下腹が熱い気がする。三度、精を射込まれた。まさに、射込まれた、という感じだった。
(あれほど激しく…)
自分がその時、どんな恥ずかしい格好を義嗣に晒していたかと思うだけで、燃えるような羞恥に襲われる。
だから、義嗣がこちらを見ていないのが、ありがたかった。
そっと、襦袢の上から、そのあたりに手のひらを当ててみた。
孕んだとしても、
(…不思議はない)
昨夜の義嗣は、これまでにも増して激しかった。
気だるさが鈴貴の身体を支配しているが、その気だるさはむしろ甘く、鈴貴を酔わせていた。

ようやく、外に人の気配がした。
風呂の様子を見に行った小姓が、戻ってきたのだろう。
情事の後朝に義嗣と湯浴みをするのはいつものことだから、鈴貴にもそのあたりの見当が付くようになっている。
小姓が、膝を摺り寄せながら、こちらへ近づいてくる気配がした。
このまま、風呂へと案内されるのだろう。
男に激しく抱かれた朝の顔を見られるのは、それが小姓といえど、鈴貴には恥ずかしく、煩わしいものに過ぎなかったが。

「…殿」
簾の向こうから小姓の声がした。しかし、どうしたのか、声が聞き取れないほど小さい。
(…まだ入ったばかりの小姓なのだろうか。…気の毒に。)
鈴貴は思った。義嗣にこのようなおどおどした物の言い方をしていたのでは、勘気に触れてしまう。
小姓の身が心配になり、鈴貴は思わず義嗣の顔を見た。
義嗣は、ただ、簾の外に目を向けている。

「殿」
少しして、今度は、やや大きい声がそう言った。
その声と、鈴貴の顔から、さっと血の気が引くのとは、ほぼ、同時であった。

(…馬…士太郎?)
母親の耳は、数ヶ月離れていても、愛する息子の声を、聞き間違えはしなかった。
ただ、そんなことを信じるわけには、いかない。それだけのことだ。
鈴貴は、己の身体が床にすうっと沈みこむように感じた。義嗣を、慌てて見つめる。
「…湯浴みの支度、整ったか」
義嗣は鈴貴を見ようとはせず、簾の向こうの小姓に、ただそう聞いた。
「…整いまして、ござり、まする」
「…い」
鈴貴の目は見開かれ、喉から声が漏れた。無意識に、襦袢の胸を合わせる。
その顔が、蝋のように白い。
「…いやっ」
鈴貴の小さな悲鳴に、簾の向こうで、小姓が身体をびくりと震わせるのが、分かった。
義嗣が立ち上がった。そして、鈴貴を見下ろす。
鈴貴は正座したまま、襦袢の胸を引っつかむように合わせ、哀れな小鳥のように竦みあがっている。
「鈴貴」
新しい主の威厳ある声に、びくり、と鈴貴が義嗣を見る。
だが、その目は恐怖に見開かれ、救いを求め、憐れみを請うていた。
「立て。鈴貴」
いやいやと頭を振る。
鈴貴の目から、涙がこぼれた。冬の寒空に放り出された子供のように、その歯がカチカチと鳴っている。
だが
(…通らせねばならぬ、道よ)
義嗣は心で呟くと、重ねて言った。
「鈴貴。立たぬか」
鈴貴の腕をつかみ、ぐい、と引っ張りあげた。
「…ひっ…」
鈴貴の身体が、引っ張り上げられる。
その時、
「殿!」
簾の外から、その声は、鋭く寝所に響いた。
悲しみと怒りに、満ちた声であった。

…だが、さすがは、鈴貴である。
馬士太郎の鋭い声を聞いた瞬間、鈴貴は、もう、動転から立ち直ろうとしていた。
彼女の持ち前の気丈さと明晰な思考が、これから起こるであろうことを見通させ、
そこで果たすべき自分の役割を明確に教えたからである。
女から、母へ。鈴貴は返ろうとしていた。
(だめだ。泣いている場合などでは、ない)
義嗣が異様なほどにゆっくりとした動作で、簾を引き上げていく。

座した馬士太郎は、しかし、無謀にも面を上げたままであった。
その背後に控えた伊藤芳丸の姿は、滑稽なほど哀れである。
思惑をはるかに超えた展開に言葉を失い、ただ頭を畳に擦り付けて平伏している。

(…母、上…!)
馬士太郎は、とうとう、数ヶ月ぶりに、愛する母の姿を間近に見た。
その母は、白い襦袢に身を包んだ姿で居住まいをただし、義嗣に深く頭を下げていた。
「申し訳ございません!」
母が叫ぶように言った。義嗣に、だ。
義嗣は馬士太郎をぎらりとした目で、見下ろしたままである。
「…どうかお許しを。…お願い致します!」
仇敵に頭を下げる母。その姿を見る馬士太郎の感情は複雑だった。
だが、その中に、いくばくかの喜びが混じっていた。
そうだ。母は、やはり今も、自分を守ろうとしてくれているのだ。
(母上…私の…母上…)
馬士太郎の胸に、熱い感情がこみ上げる。
「まだ物の分かっていない、子供でございます!…私から、きつく言い聞かせますゆえ…」
ひたすら義嗣に請願し続ける鈴貴に、義嗣は不気味なまでに沈黙していた。
「どうか…どうか、ご容赦を…お願いでございます」
馬士太郎を見下ろしながら、確かに鈴貴の言葉に耳を傾けているようであった。
母は次に、息子に向けて叱責の言葉を紡いだ。
「馬士太郎!…義嗣様の御前です…頭を下げなさい!」

母の鋭い叱責に、馬士太郎は反射的に畳に手を付いて、平伏する。
だが、母がたった今、「義嗣様」と呼んだ。
その声が、脳髄を打つように響いている。

「このとおりでございます…どうか…このたびだけは…ご勘弁を…」
なおも、母が必死に義嗣にとりなす声が聞こえる。
(…けれども…そういうことなのだ。)
初めて、義嗣に会った時も、母はこうやって必死に馬士太郎を救おうとした。
だが、その時とは、何もかもが決定的に違ってしまっている。
もう母は、義嗣と対峙する立場の女ではない。
母は、義嗣のものだ。義嗣の、女なのだ。
昨夜の、母のあられもない姿とよがり声が胸中に蘇る。
馬士太郎は今さらのように強い悲しみに襲われ、強く目を瞑った。

義嗣が動く気配がした。衣擦れの音がする。
母が、「…っ」と、息を飲んだ。
同時に、かちゃり…という音が響く。
何が起きているか、馬士太郎には推測がついた。
床の間に据えてあった刀を、義嗣が、手にした。その音であろう。

「…こ、この子を…斬るのならばっ…先に、どうか、私を…」
鈴貴が叫んだ。義嗣を遮り、自分の前に進み出るのが分かった。
次の瞬間である。母の腕が、平伏する馬士太郎の頭を守るようにふわり、と掻き抱いた。

柔らかい。そして、暖かかった。幼い頃から抱かれてきた母の腕だ。
なんという安堵だろうか。自分をずうっと守ってきた、その優しい腕。
(…このまま斬られても良い)
母の腕に抱かれ、馬士太郎の目が熱く潤んだ。
そうだ。優しい母が、母であるうちに、死ぬのも悪くはない。

義嗣は、無言で、鞘から刀を抜き放った。
朝の光が差し込む寝所に、その鋭利な刃が、冷たい光を放つ。
目の前で鈴貴が、我が子を守るために、必死に馬士太郎に覆い被さっている。
義嗣を見つめる目が、涙に濡れて、きっ、とこちらを睨み据えている。
ふと、義嗣の胸に、遠い過去が、去来した。
そのまま、刀を鈴貴に向けてまっすぐに伸ばす。
切っ先が、鈴貴の白い喉に触れる。だが、鈴貴は動こうとしない。
自分が斬られるまで、馬士太郎を守ろうとする姿勢を崩さない。
しばしの間が、あった。
母と子の姿を義嗣は見つめていた。そして、やがて、ぼそりと言葉を紡いだ。

「…かつて」
声を聴き、鈴貴はゆっくり目を開いた。斬る気がない。そのことが鈴貴には分かった。
馬士太郎を掻き抱くその手が、緩む。
「…その子を、いっそ殺してくださいませ…そう叫んだ女が、おったわ」
義嗣は言った。
鈴貴は、義嗣の顔を見上げた。これまで見た事のない義嗣を、いま、見ていた。
「…義嗣、さま」
自然と言葉が口から漏れた。
その鈴貴の声色は、たった今まで至福の極にあった馬士太郎を、瞬時に奈落へ突き落とした。
幼い馬士太郎にも分かる。その言葉が含む感情。
それは明らかに思慕、と呼ぶべきものだった。
「それ故、儂は他人を信じはせぬ。すべての人間の価値は、儂にとって利用できるかどうかだ」
「…義嗣さま」
「自分を産み落とした女に裏切られた時、そなたなら、誰を信ぜよと言うか」
鈴貴は押し黙った。答えられなくて黙ったのではない。胸が詰まったからだ。
その胸に、確かに、義嗣に対する熱い母性がきざすのを、鈴貴は感じた。
義嗣はすうっと刀を引いた。
「馬士太郎」
そう呼んだ。
「…母に二度、命を救われたな」

義嗣の言葉とともに、鈴貴の手が、馬士太郎から離れていった。
畳に居住まいをただすように正座した母は、そのまま、ゆっくりと義嗣に平伏する。
「…ありがとう存じまする」
母は言い、それから、わずかに顔を馬士太郎に向けて、続けた。
「…馬士太郎」

母が何を言おうとしているかは分かる。
同じように、義嗣に頭を下げろ、と言っているのだ。
馬士太郎の内心は、寒々と冷えている。
母の、義嗣に対するその態度。そして、いま、自分から離れていった柔らかい手。
すべてが、馬士太郎の心を傷つけていた。
だが、哀しいかな、やはり馬士太郎は、この母の子であった。
母を愛し、どこまでも信じていたい、ひとりの子供に過ぎぬ。
その母が、頭を下げなさい、と言っている。
馬士太郎は、無言のまま、義嗣に向かって深く平伏していった。
圧倒的な支配者の前に、かつて戦いを挑もうとした母と子が、いま、伏していた。

義嗣がざっ…と歩いて通り抜けた。
平伏する二人の間を。
まるで、そこにある見えない絆を断ち切るかのように。
「湯浴みする」
それだけ言い残し、一人、義嗣は寝所を闊歩して出て行った。
寝所に、鈴貴、馬士太郎、そして芳丸が残された。

主のいなくなった寝所に向かい、母と子は、まだ平伏したままだ。
義嗣に不意に放り出された母子は、互いに取るべき態度を見失ってしまったかのようであった。
心臓の音すら聞こえるような刻が、しばしの間、流れる。

「鈴貴殿」
沈黙を破ったのは、背後に控えていた、芳丸である。
はっとしたように、鈴貴が面をわずかに上げる。
だが、小姓の方を振り返ることなどはしない。
その背に、芳丸の声は続いた。
「さ、鈴貴殿も、いざ…。殿をお待たせするようなことがあっては、なりませぬ」
それは間違っていない。やがて、鈴貴は、すう…と立ち上がってゆく。
芳丸は内心で、好餌にありついた狐のごとき卑劣な笑いを浮かべ、さらに言いつのる。
「馬士太郎」
「…は」
「母君…いや、鈴貴殿を、案内さしあげよ」
わざと、「母君」と呼んだ。馬士太郎は、ぐっと唇を噛み締める。

鈴貴は、ゆっくりと馬士太郎を見下ろした。
子を守るべき母でありながら、自分は仇である義嗣の閨房術に狂わされ、手中に堕ちた。
ついに側室となることを誓わされ、義嗣の子種を、たっぷりと子宮に受けた。
愛する我が子は、そのせいで同僚から屈辱を強いられている…。
鈴貴の表情は、言い表せぬ哀切に満ちていた。
だが、いつまでも、こうしているわけにはいかなかった。
「…馬士太郎」
鈴貴は、意を決して口を開く。
「…お立ちなさい。…母を、案内してください」

朝の陽光が射し始めている廊下。
寝所からそこへ足を踏み出し、馬士太郎はその明るさに、わずかな眩暈を感じた。
後ろから、衣擦れの音がする。
襦袢一枚の母が、自分に付き従って歩いているのだ。
母を抱き、好きなようにしている男が待つ浴場へ、母を導いていく。
数ヶ月ぶりの、夢にまで見た再会だというのに、自分の役どころは何と滑稽であることか。
母と目を合わせずに済む事が、むしろ有難かった。
もし目を合わせたところで、何を話せというのか。
だから、ただ無言で、馬士太郎は歩く。

鈴貴は、そんな息子の背を見ている。
この数ヶ月の間で、少し背丈も伸び、肩幅も大きくなった気がする。
後姿に、今は亡き夫の面影が、わずかに重なる。
(…馬士太郎)
自分が知らぬところで苦労しながらも、この子は、成長していってくれている。
母としての喜びが、わずかに胸にきざす。
だが、それもわずかのことで、すぐに現実の記憶が鈴貴に押し寄せる。
昨夜から、この子は、寝所番として詰めていた。
すべてを見られた。聞かれた。
この子の父を殺した男の前で裸に剥かれ、身体を開き、絶頂を極めさせられる姿を。絶頂の声を。
そして、仇敵に服従を誓い、その子種を求める姿のすべてを。
母の、女としての、いや、一匹の牝としての姿を、最も知られなくなかった息子に知られた。
そう思うと、このままこの世から消えてしまいたいほどの羞恥に襲われる。
そして、心から、馬士太郎にすまないと思う。
だからこそ。
馬士太郎が口を開けないならば、自分から話をしなくては…と鈴貴は決意する。

「…馬士太郎」
廊下の中ほどで、鈴貴はそう呼んだ。馬士太郎の背がぴくりと動いたが、そのまま歩を進める。
「馬士太郎…母の頼みです。少し、待ってください」
鈴貴が重ねて言うと、馬士太郎が、ゆっくりとその足を留めた。だが、母のほうを振り向こうとはせず、木石のように、直立している。
「…こちらを、向いてください。馬士太郎」
ゆっくり一言ずつを区切るように、鈴貴は頼む。
この子が、こんな態度を取らざるを得ないのはすべて母である自分の咎だ。鈴貴の胸にぴりり…と痛みが走る。
「…お願いです。馬士太郎」
何度目かの問いに、馬士太郎がついにゆっくりと、鈴貴のほうへ向き直った。
母と、息子。その視線が、数ヶ月ぶりに重なる。
「…元気にして、いたのですね」
鈴貴は言った。涙が流れそうになる。
蒼白で無表情でも、それは、まごうことなく、愛するひとり息子の顔であった。
「…よかった。心配していました。…息災だと、聞いてはいましたが」
鈴貴が重ねて言う。だが、息子から帰ってきたのは、冷たい返事であった。
「…誰から、聞いていたのですか」
「…」
「雑賀義嗣から、聞いていたのですか」
「馬士太郎」
廊下の中ほど、辺りに他人の気配はない。
だが、主を呼び捨てにする馬士太郎に、鈴貴の声は諌める調子を含まざるを得ない。
「なんですか。呼び捨てではいけませぬか」
馬士太郎の声が大きくなることを懸念し、鈴貴は小走りに馬士太郎に歩み寄る。
その手首を、馬士太郎がいきなり、ぐっ…握った。
「…あっ」
いつの間に、これほど力が強くなったのだろう。
「母上。…わたしは…母上に、会いとうございました」
「…馬士太郎、母もです」
「では、なぜ」
馬士太郎の目から涙が零れた。鈴貴の胸が錐に刺されたように痛んだ。
「母上。なぜ、あの男の言いなりになっているのですか」

馬士太郎の目は、13歳の少年とは思えない痛切に満ちている。
そのまだ幼い心は悲鳴をあげ、必死になって母に、確かな答えを求めている。
(…だから、言い逃れなどしてはいけない)
鈴貴はそう思った。
自分の心を、この子にだけは、偽ってはならない。
たとえそのために、どれほど深く恨まることになろうとも。
「…馬士太郎。聞いてください」
「…」
「馬士太郎…、まず手を離してください…痛いのです」
はっとしたように、馬士太郎は、その力を緩めた。
鈴貴が自由になった手を胸の前に置く。
そして、再び、母と子は間近な距離で向き合った。

「…馬士太郎」
「…はい」
「母は、そなたを、誰よりも愛しています」
「…」
「だから、正直に、そなたに言います。残酷な母だと恨まれるかも知れません」
「…聞きとうありませぬ」
「…聞いてください」
「…」
馬士太郎が、鈴貴の目を、見つめた。
何と怯えた目の色だろう。
最愛の母を喪うことを、この子は絶望的に悟っている。
鈴貴はこの哀れな子を思い切り抱きしめたいと思う自分を、懸命に抑えた。

きっと、自分は地獄に堕ちるのだろう。
そう思いながら、鈴貴は続けた。
「馬士太郎。母は…雑賀義嗣様の、側室にしていただきました」

馬士太郎は、体の細胞の全てが死に絶えたかのように、身じろぎすらしない。
母が紡いだ言葉は馬士太郎の心を砕くに、十分だった。十ニ分に過ぎた。
「…馬士太郎」
今度は、鈴貴が馬士太郎の腕に、そっと手を掛けた。
「母を恨みなさい。そなたと…約束をしました。佐古家の再興のために、耐えようと。
そなたの父上の…恨みをいつの日か、晴らすのだと」
鈴貴の頬につぅ…と涙が伝った。
「母にもうその資格がありませぬ。まだ幼いそなたに、分かってくれとは言いません。」
鈴貴の言葉にも、馬士太郎の反応はない。
「ただ、これからも私のせいで、馬士太郎、そなたに辛い思いをさせるでしょう、だから、母を、
以後、そなたの母とは思ってはなりませぬ。人の道を外れた畜生だと…そう思いなさい」

言葉が終わるか終わらぬうちに、馬士太郎が鈴貴の腕を激しく、振りほどいた。
そして、悲痛に叫ぶ。
「わかりませぬ!…私にはっ、わかりませぬ」
「…馬士太郎」
「母上は…父上を…」
「…」
「父上を、お忘れに、なられたのですか!」
鈴貴の表情が苦しみに歪んだ。
「馬士太郎」
「…母上は…」
「馬士太郎っ!」
鈴貴は、初めて声を鋭くした。
いま、誰かに聞かれたとしても、この子は守ってみせる。義嗣を止めてみせる。
だが、こんなことは今日だけ、にしなくてはならない。

「馬士太郎」
母の鋭い声に言葉を呑んだ馬士太郎に向かって、鈴貴は言葉を繋ぐ。
「母は…もう、義嗣様の御子を、産むための女になったのです」

馬士太郎の顔は、能面のごとく、白い。
鈴貴は、言い放ってしまってから、やや後悔の念に襲われた。
だが、言うしかなかった。他にどう出来るというのだ。
今ここで誤魔化したところで、いずれは分かってしまう。
それは、逆に馬士太郎を長く傷つける結果を生むだけだ。

(…けれど)
鈴貴は思う。
結局、自分はいま、馬士太郎より義嗣を選んでいる、というだけのことではないのか。
それは、母親として、なんと罪深い行為であることか。
そんな想念が頭をよぎったが、それもわずかな間のことであった。
馬士太郎が、くるりと背を向けて、鈴貴は我に返った。
「…馬士太郎」
「…湯殿へ…案内いたしまする」
慕い、敬いつづけてきた母の、今の言葉や態度を理解することは不可能だった。
だから、逃げるしかない。母はきっと、どうかしてしまっているのだ。
馬士太郎の身体は、己が与えられた役目だけを果たそうとする人形と化した。
全身から生気が抜け落ちた様子のまま、鈴貴を先導していく。

もう、鈴貴も言葉を継ごうとはしなかった。
まだまだ言葉を交わしたい。だが、いまは、その時間が足らない。
ゆっくりと、息子に付き従い、母は新しい主人のもとへ歩いてゆく。

馬士太郎が、鈴貴を連れて湯殿の扉を開いた時、義嗣は脱衣所の格子窓の前にいた。
白襦袢のまま、背を向けて立ち、眼下の城下町を、腕を組んで見下ろしている。
「…義嗣様」
声を出したのは、背後の鈴貴だ。
息子は、とうてい、今、言葉を出せる状態にない。そう慮ってのことであった。
「…お待たせいたしました」
鈴貴は、すっ…と馬士太郎の前に、進み出る。
全てに踏ん切りを付けていた。息子の前でも、側室として、義嗣に仕える。
今の自分はそうするしか、ない。
馬士太郎のほうを、振り返り、鈴貴は諭すように、優しく言った。
「…馬士太郎。そちらへ」
鈴貴は、小姓が座しておくべき場所を示した。
馬士太郎は弱い目で母を見たが、やがて湯殿の入り口の端に移動し、膝を付いていく。
ゆっくりと格子窓から離れた義嗣が、脱衣所の中央へ歩いた。
その義嗣の傍へ、鈴貴はやや俯き加減に近づき、面前に正座すると、頭を下げる。
「…馬士太郎をお許し頂き、ありがとう存じます」
義嗣にとっては、終わったことだ。それに対して言葉を投げかけるつもりはない。

鈴貴は、ゆっくりと立ち上がると、義嗣の腰の帯に、手を掛けた。
「…お召し物を」
それだけ言うと、鈴貴は義嗣の帯を、解きはじめる。

ふぁさ…と義嗣の帯が緩んだ。
母の白い手が、男の襦袢から帯をほどいていく様を、馬士太郎は見ている。
優しい仕草の、美しい白い手であった。
解いた帯を、手際よくたたみ、木の蔓で編まれた籠へ仕舞い込む。
次に、母は、やや羞じらうような表情で、義嗣の襦袢に手を掛けた。
前をそっと開かせていく。たくましい胸板が現れた。
義嗣の背後に廻った母は、丁寧に、両方の腕から順番に襦袢を抜き取って脱がせていく。
義嗣は、白い褌だけを腰に巻いた姿になった。

(…母上)
馬士太郎は、喉の渇きを感じる。
ぼんやりとした思考が、また、じょじょに働き始めたかのようであった。
母は、いつもこうやって、義嗣を脱衣所で裸にしているのか。
母の手際が良いのは、それが、手馴れたいつもの作業であるからだろう。
そして、義嗣にとっても、この母の奉仕は、ありふれた日常なのだ。

母がまた義嗣の前に廻り、そしてゆっくりと膝を付いた。
白くしなやかな腕を、義嗣の褌へと伸ばし、指を掛ける。
(…母上)
馬士太郎が、母の背を、見つめるその目が、じょじょに大きく開かれていく。
母は膝をついたままで、義嗣の褌を丁寧に、解き始めた。
するする…とやはり手際よく、白い褌を取り去ろうとする。
時折、斜め後ろから、わずかに見える横顔が、薔薇色に、染まっている。
母は、羞恥している。
息子の前で、男を裸にしていくという行為に。
けれど、なぜ母の、その横顔から、屈辱や哀しみを、感じ取ることが出来ないのか。
やがて、褌が、はらり、と腰から落ちた。
母は、目を伏せた。そして、義嗣の褌を、太腿の上で、丁寧にたたんでいく。
羞ずかしそうに俯く母の背。
その前に、義嗣は、母を狂わせた浅黒く逞しい男根を、剥き出しにして立っている。

「すぐ、参ります…お先に、湯殿へ…」
鈴貴は、顔を上げようとはせずに、小さい声で、義嗣を促した。
愛するひとり息子に、何という姿を見られてしまっているのだろうか。
踏ん切りを付けたつもりでも、自分の浅ましさを感じないわけにはいかなかった。

「構わぬ」
義嗣が脱衣所ではじめて、言葉を投げた。鈴貴の肩が、ぴくんと動く。
「そちも脱げ」
「…」
鈴貴は、戸惑い、わずかに背後を伺い見る。
馬士太郎が、こちらを、凝視していた。
(馬士太郎)
見てはなりませぬ。外へ。そう言いたかった。
だが、義嗣が言わぬ限り、それは到底、叶わぬ望みである。
鈴貴は、微かな吐息を漏らすと、立ち上がった。
腰帯に、手を掛け、解いていく。

死んだ夫と馬士太郎と三人揃って、一度だけ、山中の温泉につかったことがあった。
親子三人での入浴など、滅多にないことである。
まだ六歳に満たなかった馬士太郎が、嬉しそうにはしゃぎまわっていた。
夫であった泰邦の背中を流し、鈴貴も夫に身体を流してもらった。
馬士太郎は嬉しそうにそれを見て、笑っていた。
そんな記憶が、不意によみがえり、鈴貴は狼狽する。
(…泰邦さま)
愛する夫と、息子の笑顔。何と明るい幸福だったことだろう。
だが、もう戻れない。鈴貴の身体も心も、今は義嗣のものだ。
女の幸福は、明るい日向の世界だけにあるのではない。
鈴貴はそのことを、義嗣に教わった。背徳の悦びを身体の隅々まで仕込まれて。

解いた帯を、ゆっくりと、床に落した。
それを、たたむことはしない。義嗣を待たせることになってしまうからだ。
そこで、はっと気付いた。

それはいつも、控えの小姓の者の役目であった。
自分が脱ぎ捨てた襦袢を、たたむのは、馬士太郎の役目だ。
そのことに思いつき、鈴貴は恥ずかしさに身体が震える。眩暈にすら襲われる。
情事の名残を残す襦袢を、息子に、整えられるのだ。
救いを求めるように、一度、義嗣を見る。

絶対者の目がこちらを、じっと見つめていた。
視線が絡む。強い雄の目だった。
腰に、じん…という甘い痺れを感じた。
従え、と義嗣の目は言っている。
どのような時も、どのような場所でも、儂に従え、と鈴貴の脳髄に囁き続けている。
(はい)
鈴貴は心の中で、返事をした。魅入られてしまっている。
襦袢の肩をするり、と脱ぐ。
白く透けるような肌が現れる。水をはじくような張りのある肌だ。
もう片方の肩からも、ゆっくりと着物をはだける。
すらりとした背。情事の後の床の中で、義嗣にその美しさを褒められた背筋だ。
その背筋を、今、馬士太郎は、見ているに違いない。
あとは、襦袢を離せば良かった。下には何も着けていない。
高く昇り始めた陽光が、格子窓から射し込み、脱衣所を明るく照らす。
引き締まった義嗣の裸身が目の前にある。ふと、その股間に目がいった。
陰毛の中から、逞しい男根が、生えていた。
かぁっと全身が燃えた。

(義嗣さま)
鈴貴は、ふわり…と襦袢を床に落とし、陽光の中に、真っ白な裸体を晒した。

(…母、上…)
馬士太郎は、そんな母の所作を、ただ、呆然と見ていた。
母の裸身を見た記憶は、馬士太郎にはうっすらとしか残っていない。
物心ついてからは、見たことがない。
その母が、今、父を殺した男の前で、全裸になっていた。
馬士太郎の側から見えるのは、義嗣の方を向いて立っている母の後姿だ。
うなじから背筋へずうっと伸びるくぼみが、あまりにも、艶やかだ。
母の腰は、見事にくびれている。その身体全体の線の美しさは、どうであろう。
女を知らぬ馬士太郎にも、その美しさが、本能的に分かる。
そして。
母は馬士太郎に、その豊満な尻を、無防備なまでに剥き出しにしていた。
母の、真っ白でむっちりと張り詰めた、白い尻が。
(…母上…!)
馬士太郎の、膝を握る手に、ぐっと自然に力がこもった。
自分の息が、なぜか荒くなる。下半身が、熱いように感じた。
思春期の馬士太郎を目覚めさせるのに、それは、十分すぎる刺激だった。
あの強く、凛としていた母が、いま、憎むべき男に、あられもない裸を晒している。
光の中で、息子の眼前に、その尻を晒すことも厭わずに。
尻からら下へと、伸びる脚。
その脂に乗ったふとももは張り詰めて、ぴったりと閉ざされていた。
恥じらうように、閉じ合わせた肢が、時折、かすかに左右にくねっている。
(…きれいだ…)
馬士太郎は、状況を忘れて、思わず、そう心で呟いた。
そして、次の瞬間、この身体のすべてが
(義嗣のものなのだ)
そう思った。
その途端、胸の中が、熱い火ゴテを当てられたように、焼けた。
母はもう馬士太郎のものではない。
(母上は、義嗣のものなのだ)
馬士太郎は、憑かれたように、心の中で繰り返した。

全裸で立ち尽くす鈴貴に、義嗣は、やがてゆっくり歩み寄る。
そして、手のひらを鈴貴の下腹に、押し当てた。
「…ここに」
「…」
「たっぷりと、昨夜の、儂の子種が、入っておるか。ふふ」
かあっ、と鈴貴の顔が朱に染まった。
息子の前で、こうもあからさまに、精を射込まれた自分を曝されるとは。
「…早よう、孕め」
「…」
「儂が天下を取るのは、じきぞ。早ようせねば、間に合わぬわ」
鈴貴は、少し唇を噛む。そして、義嗣を上目遣いで見上げた。
(…馬士太郎の居る前で…)
その表情は、義嗣を責めながら、しかしどこか拗ねているようでもあった。
義嗣は、楽しんでいる。相変わらず、自信に溢れた目で、鈴貴を見下ろしてくる。
その大きな手のひらで下腹部をゆっくりと撫ぜられ、鈴貴の息が、わずかに弾む。
「…湯殿に」
身をよじり、かろうじて、鈴貴はそう言う。
「…健康な、男児じゃ」
なおも鈴貴の下腹部を、執拗に、妖しく撫で回しながら、義嗣は言った。
「よいな。鈴貴」
鈴貴の頭がわずかに、頷いた。
それから、背後の愛する我が子を、振り返りたそうな仕草を見せた。
許しを求めたのか。それとも息子に見られることを、恥じたのか。
馬士太郎は、反射的に下を向いた。母の目をまっすぐに見る勇気は、なかった。
やがて目を上げた時、母はもう、こちらを見てはいなかった。
義嗣と母が、全裸で、並び立っている。
義嗣はこちらを向き、母を狂わせた股間に生える男根を隠そうともせずに。
母は、豊かな白い尻を、無防備に馬士太郎に向けて剥き出しにして。
浅黒く引き締まった、筋骨逞しい義嗣の肉体。
そこに肉づき柔らかく、透き通るように白い母の裸身が、寄り添っている。
愛する母は、完膚なきまでに、奪われていた。

義嗣と鈴貴が、脱衣所の扉を開け、並んで湯殿に消えていった後も。
しばらく馬士太郎は黙したまま、その場に座っている。
たった今しがたの母と義嗣の会話。
身も心も奪われたような母の媚態。
どうしようもなく漂っていた「牡」と「牝」の馴れ合った空気。
それらが、どうしようもなく馬士太郎の心を苛んでいた。
確かに、今朝の寝所で、母は自分を守ろうとした。
だが、それとて、義嗣にすべてを懸けて立ち向かったのではない。
母は、自分が義嗣の女であることを認めるところから、物事を始めるようになっている。
(…おかしいではないか)
例え斬り捨てられようとも、義嗣の不義や傲慢に対し、正義を貫き続ける。
それが母と子の、誓いではなかったか。
鈴貴にとっては夫への、馬士太郎にとっては父への、約束ではなかったのか。
 −義嗣さまのお手つきになるのは女の名誉じゃ。
 −案ずるな。そちの母は、確かに気丈だが、床の中ではすっかり義嗣さまに蕩かされておるゆえ…
不意に、芳丸に放たれた言葉が、脳裏に甦ってきた。

やがて、ゆらり、と馬士太郎は立ち上がった。
そしてのろのろと脱衣所の中へ歩を進める。
命じられた作業を、無意識に馬士太郎は進めようとしていた。
脱衣所の床に、母の白い襦袢が脱ぎ捨てられている。それを、拾い上げた。
途端、母の肌の匂いが、馬士太郎の鼻腔を満たした。
(…母上)
思わず、白い襦袢を見つめる。両手で、すくいあげるように持つ。
この襦袢の裡に、母の真っ白な裸身が、今しがたまで包み込まれていた。
馬士太郎は、不意に強い激情に駆られ、その襦袢を胸のうちに抱きしめていた。
その時。
「…んふ…っ…」
閉じられた湯殿の、扉の向こう。
格子窓の部分から、声を洩れ聞いたように、馬士太郎は思った。

ぎょっとした馬士太郎は湯殿の扉の方を振り仰ぐ。
母か義嗣に、今の姿を見られたのかと思ったが、そうではなかったようだ。
安堵すると同時に、暗い疑問が胸にきざしてきた。今の声。義嗣のものではない。そう、吐息のような。
(…母上)
ふらり、と馬士太郎は立ち上がった。
扉の上部にある小さな格子窓。
そこから内の様子を覗き見ることは、たやすいことである。だが、もし、その姿を義嗣に見られたら。
主が側室を伴っている湯殿の光景を覗き見るなど、許されることではない。
今度こそは、母がとりなしてくれたところで通用するまい。
(…なら、それでも良い)
馬士太郎は、やや自暴自棄になっている。
自分が斬り捨てられたところで、誰が悲しむというのか。
母は「義嗣の女になる」とあれほど明確に馬士太郎に告げたではないか。
(なら、私は、父上のところへ行けば良いのだ)
馬士太郎は、ゆっくりと湯殿の扉に近づく。
扉に身を隠すように立つと、顔を寄せ、格子窓の端から、ついに内の様子を窺った。
朝の眩しい光と、湧き上がっている湯煙で、中は見えにくい。馬士太郎は目を細め、凝らす。
湯に濡れる檜床の匂いが立ち昇っている。清潔さを保った広い湯殿である。
(…いた)
湯煙の中に、義嗣の姿が見えた。
湯舟は、床と同じ高さから、床下へくり抜かれる形になっている。
床と同じ高さの湯舟の縁に、義嗣は腰掛けていた。だが母の姿が、どこにも見えない。
「…ん、ふ」
そう思った途端、母のものらしい、くぐもった声が、した。
ちゃぷり…と湯の揺れる音。檜の床に湯が溢れて、さあっと流れた。
(…どこに)
馬士太郎は、視線をやや下へ向け…そして、息を呑んだ。
母は、いた。湯舟の中に。溢れる湯の中に、その身を沈ませて。
義嗣が大きく開いた両足の間へ、白い裸身をもぐりこませて。
そして。
義嗣の股間に、母は深く顔を埋めていた。

(…っ?)
馬士太郎には、まだすべてが理解できていない。母が義嗣の股間に顔を埋めているのは分かる。
だが、湯煙が邪魔をして、母の行為のすべてを確かめることが出来ずにいる。
(…母上…なにを…)
また、ちゃぷ、ちゃぷっ…と湯が揺れた。
「…ふ…っ…ん…」
母の声。その時、湯殿のどこかに、窓があったのだろう。すうっと風が湯煙を掃っていく。
そして、馬士太郎は、見た。
そういう行為が男と女の間で為されることを、これまで知らなかった。
母の唇が、義嗣の浅黒く屹立した男根を、深々と呑み込んでいた。
「…んふっ…ふっ…」
母は目を閉じ、ゆるゆると、顔を上下させている。母の艶やかな唇を割って、義嗣の男根が、何度も何度も出入りする。
(…男根を、口で…)
馬士太郎は、ただ呆然とする。これも、男と女の、性の営みのひとつなのか。
義嗣の手が、母の頭を撫でた。犬を撫でるように。
母は、うっすらと目を開け、義嗣の男根を咥えたまま、義嗣を見上げた。その目は、熱にうかされたように潤んでいる。
「…続けい」
義嗣がそう言った。母はそれを聞くと、安心したようにまた目を閉じ、顔を動かし始めた。
「…ん…ふぅん…んふっ…」
母の鼻から洩れる吐息。顔の動きはじょじょに、激しさを増していく。
(…いつも、母は義嗣に、このような…)
母は妖しかった。馬士太郎の見知らぬ母だった。やがて、その口を、一旦離し、義嗣を見上げる。媚びるような目。
義嗣の無言に許しを得たと判断したのか、母の手が義嗣の男根に伸びていった。
馬士太郎が愛した白く細い指。何度も、馬士太郎を優しく撫でてくれた指。
その指で、母は、義嗣の男根の根元を、握った。あやすように、指を上下させ始める。
母の口からは、赤い舌が伸びた。義嗣の男根の先端を躊躇うことなく舐めた。
そして、ちろちろと、蛇の舌のように、何度も這わせる。ねっとりと舌の表裏を使って、先端全体を舐めあげ、唾液にまみれさせる。
指の動きは速さを増し、義嗣の男根の根元をきゅ、きゅ、と扱き立てる。
義嗣がふふ、と笑った。
「…あ、あぁ、ん…」
母はたまらず、恨めしげに、知性のかけらも感じられぬ嬌声をあげてみせる。

義嗣に植え付けられた被虐。
そのどす黒い悦びの炎の渦に、鈴貴は全身を焼かれて、法悦の極みにいる。
扉の向こうには、馬士太郎がいる。
だが、その事実すら、いまや、鈴貴の官能を刺激する材料でしかなかった。
女が男に狂う。そこまで深い性の悦楽など、ありえないと思っていた。
生まれてから、30年の間だ。そう思っていた。
処女は、亡夫・泰邦に捧げた。
それから、女の歓びは、それなりに夫に教わり知ったつもりだ。
だが、性の営みがなくては生きていけないと思ったことはなかった。
性の悦びは、人生の裏側にそっと存在するものだと思っていた。
理性や、教養や、女としての誇り。そして、例えば、息子への深い慈愛。
人の心の表側で強く輝き、力を保ち続けるのはそういうものだと思っていた。
その人生観は、すべて義嗣に、破壊された。
義嗣の前で自ら股を限界まで大きく開き、性器を剥き出しにして誘ってみせる。
義嗣の逞しい男根に膣を割り裂かれ、子宮まで、激しく何度も何度も穿たれる。
その時間こそが、今の鈴貴の至福だった。
(…教えて。鈴貴にもっと、もっと。教えてくださいませ)
義嗣の性器を、口いっぱいに頬張り、鈴貴は主を見上げ、柳眉を寄せて訴える。
(…私が、鈴貴が間違っていたと、教えて)
男根から指を離し、喉の奥まで再び呑み込む。吐き出す。それを繰り返す。
(正しいのは、義嗣様。あなただけと…愚かな鈴貴を詰ってくださいませ…)
頬をすぼめて男根を圧迫する。
舌を走らせては刺激を与え、真っ赤な顔を懸命に上下に振りたくる。
馬士太郎が見ているとも知らず。
義嗣に喜んで欲しい。鈴貴は口の周りを唾液でべとべとにしながら必死に奉仕する。
(義嗣様…義嗣様…)
息子の面前で。
母は一匹の浅ましい性奴となり果てる。

馬士太郎は母の屈服を見つめている。
義嗣の股間で、激しく母の頭が上下に動く。
口いっぱいに義嗣の男根を頬張って、うっとりと目を閉じる母。
時折媚びるような薄目で義嗣を見上げる。
義嗣が何も言わず見下ろすと、嬉しくてたまらないように、また顔を埋めていく。
(これが…本当に、母上か…)
馬士太郎は、血の色の心を抱えたまま、しかし、その光景から目が離せない。
義嗣が、母に何かを言ったようだった。
母が、義嗣の男根から口を離し、そして、ざぁっ…と湯から立ち上がった。
母の一糸まとわぬ裸身。今は、前から見る。
母は、若々しかった。ぴん、と湯を弾くような肌が、朝の光と湯気の中で、輝いて美しかった。
型崩れの全くない双つの乳房が、張りのある隆起を見せている。
そして、その先端に、薄茶色の乳首がふたつ、ぴん、と尖っているのが見えた。
馬士太郎に何度も乳を含ませた乳首は、いま、義嗣のために硬く尖っている。
男なら誰もが見とれてしまうであろう、腰の見事なくびれ。
その下腹を、慎ましやかにうっすらと覆う陰毛。
そのすべてを、母は、義嗣の為にだけ、晒していた。
やがて、後ろを向いた。命じられていたのだろう、そのまま義嗣に、豊かな形の良い尻を突き出していく。
母の、真っ白な尻。そして、その割れ目がはっきりと見えた。
義嗣がゆっくり足を開いて、再び、何かを言った。
それに従い、母が、おずおずと、突き出した尻を、義嗣の股間に落とし始める。
すぐに、剛直が尻のあわいに触れたのだろう。びくん、と母の腰が跳ねた。
もう、馬士太郎にも、母が何をしようとしているかは分かる。
母は、義嗣を受け入れようとしているのだ。それも、自ら、腰を落として。
恥じらうように母は義嗣を振り返った。かすかに、いやいや、と頭を振った。
その腰に、義嗣がそっと手を添える。添えただけだ。動くのは、母だ。
なじるような視線を送った母が、諦めたように、また前を向く。
義嗣の両膝に、母の手が置かれた。腰が沈む。ゆっくりと。義嗣の股間に母は背中から、尻を落としていく。
ぐちゅぅ…という浅ましい音を聞いたように馬士太郎は思った。
「…! あぁ…っ、あーー…っ…」
母は、朝の光の中で背を美しく反らし、喜悦の牝声を迸らせた。
母が剛直を呑みこんだのを見計らい、義嗣が母の両手をぐい、と後ろから掴んで牽いた。
「あっ…! あ、ひぃ…っ…義嗣さま…っ…いやっ…」
母が、哀れな悲鳴を迸らせる。 まるで、馬の手綱のように両手を義嗣に牽かれ、母はなおも、背を反り返らせる。
美しい裸身が、ぴん、と彫像のように突っ張った。
「や…っ、いやぁ…、…おゆるし、くださいまし…」
自由を奪われ、哀願すれば、義嗣がまた、ぐい、と腕を強く牽く。
「ふふっ…ほうれっ…!」 牽くと同時に腰をぐん、と下から強く突き上げる。
女の芯を、捉えられている。 身動きできぬ母は、ただ浅ましいよがり泣きを噴きこぼすばかりだ。
「い…っ、ひいっ…ひーーーっ…」
「はははっ…はしたないぞ、鈴貴…馬士太郎に聞かれておるのだぞ」
「やっ…いやぁーーーっ!…」
母が悲痛な叫びをあげると同時に、義嗣が腰の動きを激しくした。最愛の母を、下からずんずんと容赦なく犯し抜く。
「…っ、ひいっ!…ひいっ!…ひいいっ!…ひいっ!…ひいいっ!」
一定の間隔で突き上げられ、母ははしたない叫びを上げ続ける。
息子が、すぐそばにいる。 自分を一途に愛している血を分けた息子に…性の悦びに狂わされる声を聞かれている。
だが、もはやその事実すら、鈴貴の矜持を保たせることは出来なくなっていた。
「ふふっ…どうじゃ?たまらぬであろうが?…鈴貴っ」
母は隷従した。叫んだ。
「ああっ…た、たまらないっ…義嗣さまっ…鈴貴は、気持ちようございますうっ…」
髪を振り乱した。狂ったように顔を左右に打ち振った。 自らの豊かな尻を、義嗣の腰にぶつけはじめる。
母の腰がうねる。獣のように。
「あああっ…ああーーーっ…義嗣さまっ…もっと、もっと…!…」
義嗣の強靭な肉体は、母のそんな激しさを、いともたやすく飲み込んだ。
「ふふ…そらっ!…らっ!…そらぁっ!」
母の激情を呑みこむ逞しさ、さらに母を突き上げ、身体の奥深く貫く。
母が、泣いた。涙をぼろぼろとこぼしながら、真っ白な尻を必死で振った。
「ひ…っ、ひっ…ひい…ひいいっ…ひいっ…くうっ…ひいーーっ」
気高かった母。
優しかった母。
厳しかった母。
その母は、いま、義嗣に犯され、腰を振って泣いていた。 まるで赤子のように。
馬士太郎は、ふらり…と浴場の扉の前を離れた。
これ以上、母の狂態を見続けても、どうなるものでもない。
もう、母が自分の元へ戻ってくることはない。
すべてを終わらせたかった。そうでなくば、あの日に戻りたかった。
父を殺され、母とふたりで、義嗣と対峙したあの日。
あの時、母と二人で、最後まで義嗣に立ち向かい、斬られていれば良かった。
母の、悲壮な決意が滲んだ眦を、馬士太郎は思い出した。
だが、あの時、母を、綺麗だと思った。
息子の命と、夫の誇りを掛けて、母は凛として立っていた。
居並ぶ敵将たちの前で、魔王のごとき義嗣にも、怯むことなく。
その気迫が、まだ幼い馬士太郎をして、母を、美しい、と思わしめた。
斬られることなど、怖くはなかった。
母とふたりで敵と戦っている。それが、馬士太郎の喜びですらあったのだ。

「いひぃっ…いぃーっ…いいーーーーっ…」
いま、その母のよがり声が、馬士太郎を幸福な回想から引きずり戻す。
あれほど強かった母の、恥知らずな盛り声が、否応なしに耳に届いている。
無言のまま、夢遊病者のごとく、馬士太郎は小姓が座すべき位置に戻りはじめた。
最愛の母を奪われたその目は焦点を失い、何も映してはいない。
(…強うなれ。馬士太郎。まっすぐに力強く正しい道を駆ける馬のように)
亡き父に掛けられた言葉が、不意に脳裏に甦ってきた。
立派な父だった。強い父であった。尊敬すべき父だった。
なのに、なぜ、母は。
その時、
「あ…あーーーーーーーーーっ!!」
明らかにひときわ高い叫び声が、扉の向こうから響き、そして、ぱたりと止んだ。
義嗣の性技に敗れ、絶頂に追いやられた母の、いまわの叫びであった。
しばしの静寂が、戻っていた。
馬士太郎は俯き、黙して座している。
母の声が途絶えて、どのくらい経ったろうか。がらり、と浴室の扉が開く音がした。
馬士太郎は、ようやく、我に返り、顔を上げる。
義嗣が濡れた肉体を堂々と晒し、浴場から出てきたところであった。
その股間に、どうしても目がいった。
黒々とした密生する剛毛の間から、赤黒く太い男根が、垂れている。
つい今まで、これが母の胎内に深々ともぐりこみ、泣き叫ばせていた。
母が、義嗣に付き従うように現われた。
消え入りたいような風情で、義嗣の陰に隠れるように。
(…母上)
どれほど、この母の態度が、馬士太郎を傷つけただろう。
なぜ、義嗣の陰に、隠れているのだ。
(母上を守るのは…私でなく、その男なのでございますか…母上…)
声には出せない。
だが、目で訴えたくとも、母は、視線を合わせてくれようとはしなかった。
やがて、義嗣に命じられた母は、木綿の布を手にして義嗣の身体を拭いはじめた。
馬士太郎に尻を向け、母は主の身体を甲斐甲斐しく拭いてゆく。
逞しい上半身を拭い終えた後、義嗣の前に両膝を折って座る。
太腿、そして両足。
母の横顔は、羞恥に染まっていたが、どこか満足そうに見える。
やがて、白く細い指が義嗣の性器に触れた。
息子の前で、ためらいなく、父以外の男の性器をじっと見つめた。
そして、優しい指で持ち上げる。
木綿で包み、母は丁寧に、それを拭っていった。
身体を拭かせたあと、母に、義嗣は立つように命じる。
従順にそれに従う母。
その肩を掴むと、義嗣はくるりと母の身体を回転させ、馬士太郎の方へと向けた。
「…あ、っ…」
突然の義嗣の行為に、母は狼狽し、声をあげる。
馬士太郎は、この光景を前に、身体を硬直させた。
そのまま、義嗣は鈴貴を、馬士太郎の間近まで引き立ててくる。
「…義嗣さま…っ、おゆるし…」
母が、哀れな声を上げた。必死で身体をねじり、この状況から逃れようとする。
だが、敵うはずもなく、今まで抱かれていた身体を、息子の前に晒される。
「馬士太郎」
義嗣は、馬士太郎に声を掛けた。
「…見よ。これが、そちの母よ」
「…っ…」
馬士太郎は、目を見開き、見上げる。
「だが今は、そちの母である前に…わしの女。雑賀家の子を産む女じゃ」
「義嗣さま…、どうか……」
母の頬をまた涙がつたった。涙の雫が、光って、床へ落ちる。
ここで母のために戦っても良い。馬士太郎は思った。
だが、それをして、どうなるというのか。
母は、それでも、最後は義嗣のもとへ戻ろうとするだろう。
一切の抵抗をせず、息子に裸身を曝す母の態度が、それを証明していた。

義嗣が、左手で母の上半身を抱きかかえたまま、右手で、その右足の膝の裏を掴んだ。
「…ひっ…いやっ!…いやぁあ!」
さすがに鈴貴が、叫んだ。義嗣の意図を察して、抗おうとする。
だが、義嗣はたやすく、ぐい、と母の片脚を持ち上げた。大きく、その股間を開かせる。
座している馬士太郎の目の前に。
母の性器が、隠すところなく、剥かれた。
(…いけない)
そう思いつつ、馬士太郎は目を離せない。
母の、その場所。
母の膣口は、ざくろのように割れていた。
左右の花びらのような形状の陰唇が、充血して外へめくれあがっていた。
入り口はぱっくりと口を開き、中の、桃色や赤を散らしたような肉が、覗いて見える。
「…あぁ…」
母が、うめいた。か弱い声であった。だが、とうにその抵抗は止んでいる。
「…見よ」
義嗣は、馬士太郎を見下ろした。
「そちが生まれた、女の場所よ」
また、ここでぐいっ、と大きく開かせた。母が「ひっ」と哭く。
「…」
「じき、この腹が、儂の子を孕む」
母が、いやいや、と首を左右に振った。
そして、まさにその時。
母の割れ目から、どろりっ…と、大量の白濁の粘液が、垂れて落ちた。
義嗣の、精液。母のふとももをゆっくりと、伝っていく。
「…ひぃ…」
その感触が、分かったのだろう。母が哀れに哭いた。
父以外の男の精を、射込まれた母。
義嗣は馬士太郎をじいと見おろしていた。
母を守るために、何をすればよいのか。馬士太郎は考えている。
やがて、馬士太郎は、ゆっくりと平伏した。義嗣に頭を深く下げていく。
「…殿」
しばしの沈黙。
「…母を、なにとぞ、よしなに…。無礼ながら、なにとぞ、お願い申し上げまする」
母が、驚きで息を飲む音が聞こえた。
その馬士太郎の頭に、義嗣の声がすかさず、降り落ちた。
「…馬士太郎、大儀じゃ!」
それから、高らかに義嗣は笑った。
鈴貴は、ほどなく懐妊した。
知ったのは、母が伽を命じられ、馬士太郎が寝所番を務める予定の夜であった。
新しく鈴貴に付けられた侍女が寝所へやって来ると、義嗣に告げた。
「西の丸様には、ご気分が優れませず…どうやら、ご懐妊の由にございます」
馬士太郎も、背後でそれを聞いていた。
(…母上が)
妊娠した。義嗣の子を。胸が、ざわついた。しかし、思ったほど不快ではなかった。
母を楽にさせるため、義嗣に自ら頭を下げたあの時から。
すでに、西の丸様、という呼称で母は通っている。
「孕んだか」
寝所の中から、義嗣が甲高い声を上げた。
「吉兆よな」
数日後、義嗣は、母に手紙を書かせた。母の生国・寺石家にである。
何を書け、とは言わなかった。鈴貴ならば何を書くべきか知っていよう。
母は従順に、義嗣の意を汲んだ書面を、したためたようであった。
その書面の内容を見て、義嗣は
「さすがよ」
と、満足気に大笑したと言う。
故郷の、年老いた父と母へ。
連絡を絶っていた謝罪と、自分の今の生活について。
自分は、望んで義嗣の子を孕んだこと。
春には出産の予定であること。
そして、不自由なく幸せにしている、ということ。
年老いた鈴貴の父は、この手紙で義嗣に敵対する意志を、失ったのであろう。
義嗣が加納に攻め入った時、寺石家は加納家の援軍要請にも、遂に動かなかった。
鈴貴の兄・秀家は歯噛みしたが、当主である父が動かぬ限り、手立てはなかった。
鈴貴の手紙ひとつで、義嗣はまた、確かな天下への布石を打ったのだった。
春が訪れた。
戦国の動きは、ほぼ収束に向かっていた。
義嗣が、上洛する。
すでに城を出て三日。
予定通りならば、明日、都にて、帝に謁見することになっていた。
この謁見で、義嗣は帝の勅旨を賜り、遂にこの戦国の世に安定をもたらすであろう。
この頃の馬士太郎は、伊藤芳丸に次ぎ、小姓頭筆頭にまでなっていた。
芳丸も、覚悟のさだまった馬士太郎に対し、嫌がらせのしようがなくなっている。
いや、むしろ、一目置いた感がある。
めきめきと頭角を現し、小姓仲間の間でも人望を集め始めた馬士太郎に、である。
「…馬士太郎」
「はい」
「西の丸様のもとへ使いせよ。一度、母に会いたかろう」
「…良いので、ございましょうか」
「…ふん。生まれたばかりの弟の顔も見てこい。行け」
芳丸に命じられ、馬士太郎は、西の丸へ向かう。
いくつかの用事を済ませ、母の部屋の前に立つと、声を掛けた。
「…馬士太郎にござりまする。西の丸様にお目通り願いたく」
襖がやがて、すうっと開いた。昔から顔を知っている桔梗がそこにいた。
「馬士太郎様。ようこそお出でくださいました」
「…母上に、お会いしたく、参った。構わぬであろうか?」
「…どうぞ。西の丸様も、喜ばれます」
許されて、部屋の中へと歩を進める。
上座へ目を向けると、そこに、母・鈴貴がいた。
母は、馬士太郎を見て、やさしく微笑んでいる。
「…馬士太郎」
「母上」
母は、なお一層美しくなっていた。女が幸福に光り輝いている。そんな感じだ、と思った。
母の腕の中に、赤子が抱かれていた。
毛布でくるまれた赤子を、母は、大事そうにやさしく抱いていた。
時折、むずがる赤子を、よしよし…というように、腕の中であやしてみせる。
馬士太郎は、すっ、と正座すると、母に頭を下げた。
「母上…男児のご出産、誠に、おめでとうござりまする」
「馬士太郎…ありがとうございます。…お前の、弟です」
母はそう言ってから、また、にっこりと微笑んだ。

母との面会を終え、馬士太郎は小姓部屋へと戻る。
赤子を抱いて幸福そうにしていた母の表情を胸の中に思い浮かべる。
やや、胸は痛む。父親は別だ。
母は、どちらの子を、より愛しているのだろうか。
どちらも? 本当に?
だが、考えてみても、詮無いことだ。
もう、十分に傷つきすぎた。そして、選んだ結論である。
母の幸福を、一番に考えよう。戦国もじき、終わるのだ。
覇者の家の一員として平和な世を迎えられる。何よりのことではないか。
春の廊下をぼお、とそんなことを考えながら歩いていて、ふと気付いた。
ざわめき。馬の嘶き。
城門の方か。
誰かが城門近くで叫んでいる。複数の叫び。やがて城中を駆ける人足の音。
何事なのか。駆け出そうとした馬士太郎の方へ、廊下の向こうから芳丸が駆けてきた。
なんと言う顔をしているのか。蒼白だ。目を剥き出しにしている。
「ろ…篭城じゃ…!篭城の準備じゃ!」
「…何事にござります?」
「き…昨日、昨日…昨夜じゃ!」
惑乱する芳丸は、がっしと、馬士太郎の肩を掴んだ。
「ぜ…善明寺にて…殿が…殿が…襲撃されたわ!」
その瞬間。ざわっ…と馬士太郎の血がざわめいた。今のは恐怖か?…快感だったのか?
「なにものの…仕業に…ございます?」
「帝よ!…後ろで糸をひいたのじゃ!この城に今、上筒、荒山の軍勢が迫っておるわ!篭城の用意じゃ…馬士太郎…!」
「…義嗣様の…殿の…生死は?」
「わからぬ!…逃げ延びられたか…それとも…討ち死になされたか…」
芳丸ががっくりと膝を付く。そして、頭を抱えると、絶叫した。
「殿…殿の死など…考えとうもないわぁぁ!」
これが、戦国か。
ついさきほどまで、動乱の世は終わりに近づいていたはずだった。
義嗣が、死んだのか。あの義嗣が。
あのような男でも、死ぬことがあるのか。にわかには、信じがたかった。
…だが、もし、もし、そうだとすれば。

(母は)
義嗣の子を産んだ母は、どうなる?

瞬時に、馬士太郎は芳丸をその場に置いて、走り出していた。
母を、守らなくてはならない。母を守れる者は自分しかいない。
幾人もの慌てふためく男や女とすれ違い、馬士太郎は、西の丸へと上っていく。
まだ定かでない運命へ向かって、馬士太郎は駆ける。
「…母上!」
息子は母を慕い、母のもとへと駆け続ける。
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