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919 名前: 瑶子 ◆ptuJF/n526 [sage] 投稿日: 2007/12/25(火) 16:13:02 ID:NJDDZtRR
1.
ピシャッ!
…鋭く乾いた音が、路上に響いた。
松浦弘樹は、平手打ちされた頬を抑えもせず、口元に歪んだ笑みを浮かべていた。
ゆっくりと口を開く。
「…ふーん…きついとこ、あんじゃん」
そんな弘樹を凛とした表情で睨みつけている女性は、かなり若く見える。
だが、17歳の弘樹と比べれば、少なくとも一回りほどは離れているだろうか。
均整の取れた女優のような顔立ち、肩まで伸ばした黒髪。
薄いブルーのTシャツにGパンというラフな服装は、逆に彼女の女性としての
プロポーションの見事さを際立たる結果になっていた。
「松浦君」
頬を打った手を下ろさぬままで、その女性、佐伯瑶子は言葉を繋いだ。
「もうバカなことはやめなさい。何が君をそうさせているのかは分からないけど」
「…」
「弱い者をイジメても何も残らない。空しいだけなのは一番分かってるんじゃなくて?」
そう諭す瑶子の瞳はまっすぐに目の前の少年を見つめている。
フダ付きの不良で、近所の人間が誰しも眉をひそめる弘樹にも、
瑶子の真摯なまなざしはいささかも怯んでいなかった。
「…イジめられる息子に育てた母親にも、責任あるんじゃね?」
弘樹は、相変わらずニヤついた顔を崩さぬままで言う。
920 名前: 瑶子 ◆ptuJF/n526 [sage] 投稿日: 2007/12/25(火) 16:13:36 ID:NJDDZtRR
2.
「いいえ」
瑶子はすかさず答えた。
「…それは違う。虐める側の詭弁よ。裕は君なんかのイジメに負ける子じゃない、でも」
瑶子の頬は、怒りのためか、上気している。
「私は裕の母親として、裕を守るの。君が陰湿なイジメをやめない限り、どんなことを
しても戦うわ」
弘樹は、無言になって、しばらく瑶子の顔を見つめていた。
やがて、その視線は、瑶子の足元に落ち…すらりとした脚から、くびれた腰…
Tシャツを膨らませる豊かな胸…へと移っていった。
その目の奥に、凶悪な獣の光が宿ったことに、瑶子は気付かない。
「…へっ、ま、いいや。せいぜい頑張りな」
そう言うと、弘樹はくるり、と背を向けた。
「待ちなさい」
瑶子は、去ろうとする弘樹の背中にさらに声を掛ける。
「裕にもう手を出さないと約束して」
無言で弘樹が、こちらをゆっくり振り返った。
「…ホントならよ、俺が殴られっぱなしで許してやるなんて、ありえねぇんだぜ?」
脅すような口調だった。
だが、瑶子は怯まない。毅然とした態度を保ち、弘樹に言い放つ。
「…暴力に訴えるならやりなさい。私は必ず、裕を守るから」
「…」
弘樹は数秒、瑶子の顔を鋭い目で見つめた。
それから、くるりと背を向け、その場から歩み去っていった。
928 名前: 瑶子 ◆ptuJF/n526 [sage] 投稿日: 2007/12/26(水) 10:20:01 ID:QiG9+oF+
3.
息子の裕がどうやら不良グループにイジメを受けていることは察しが付いていた。
大人しく穏やかな子だから、今の時代、そういう目に遭っても不思議でない。
今年から、請われてPTAの副会長を努めていた瑶子にとって、
裕に陰湿なイジメを続ける加害者が、松浦弘樹という不良少年であると調べることは、
それほど難しい作業ではなかった。
そして今日、瑶子は少年が学校から帰宅する道で待ち受けたのだった。
「佐伯裕の、母です」
突然目の前に現れた瑶子に、さすがの不良も一瞬、面食らったようだった。
「…松浦くんね。あなたが裕にイジメを加えていると聞いたの」
ストレートに切り込んだ瑶子に、事情を察した弘樹はニヤリと笑って見せた。
「…そうだよ。なんだ、あいつ、母親に泣きつきやがったのか」
「教えて。どうして、裕を標的にするの?」
弘樹はさも愉快そうに、唇を歪めてニッと笑った。
「だって、おもしれぇからよ」
「…おもしろい?」
「そうそう。こないだよぉ、傑作だったぜ、女の目の前でズボン引き摺り下ろして…」
その瞬間、瑶子の平手が弘樹の頬を鋭く打ったのだった。
弘樹が立ち去ったあとも、しばらく瑶子はそこに佇んでいた。
(…なんて怖い目をする子なのかしら)
自分は立派に子を守る母親の威厳を保っていたと思う。
だが、たった今まで自分の目の前にいた不良少年の鋭く冷たい視線を思い返すと、
背中に冷たい汗が伝うような感じを、瑶子は覚えた。
929 名前: 名無しさん@ピンキー [sage] 投稿日: 2007/12/26(水) 10:20:46 ID:QiG9+oF+
4.
4LDKの2階建て一軒家。つもと同じ佐伯家の夕餉の風景があった。
「…松浦君って子に会ったわ」
ふたりで座る食卓で、瑶子はひとり息子にそう切り出した。
「…会ったって…あの、うちの学校の松浦?」
裕が驚いた表情になった。
ペルーに長期単身赴任中の父親に似て、柔和な、やや幼い顔つきをしている。
ふたりきりの2年の生活の間に、ますます夫に似てきた…と瑶子は思う。
この息子と、夕方に出会ったあの不良少年が同い年だとは、どうも信じられない。
昼間は緊張して意識しなかったが、弘樹の上背は160センチの瑶子よりも
10センチは高かったように思う。
ようやく瑶子と同じくらいの背丈になった裕と比べると、あの不良少年はすでに
がっしりとした大人の体格を備えていた。
「裕ちゃん、イジメを受けてるんでしょう?あの子に」
裕は、困ったな、という表情をした。
「…隠してたわけじゃないんだけど…」
「…だけど?」
「お母さんを心配させたくないと思って…自分で解決できるし…」
裕は言った。
「自分で解決って…でも、かなり酷い陰湿なイジメをする子だって聞いたわ…
PTAの福岡さん達からも…そうなんでしょう?」
「うん、まあ…。でもさ、いつまでも続くわけじゃないし…」
「でも、されるがままじゃ、どんどんエスカレートするわ、裕ちゃん」
「分かってる。もう少し我慢すれば大丈夫かなって思ったんだ」
「裕ちゃん」
930 名前: 瑶子 ◆ptuJF/n526 [sage] 投稿日: 2007/12/26(水) 10:21:28 ID:QiG9+oF+
5.
「お母さん、大丈夫だよ。あれくらいのイジメなんて、どうってことないもん」
「…」
裕の良いところは、持ち前の伸びやかさだと、瑶子は思っている。
その息子の伸びやかさは、決して松浦弘樹のイジメに屈しているわけではないのだろう。
瑶子は、やや安堵した。
そして、何としてもこの子を理不尽な暴力から守らなくてはならないと感じた。
「お母さん、ありがとう。でも…松浦のヤツ、キレたら危ないからさ、無茶しないで」
「裕ちゃん」
「お母さんに暴力ふるわれたりしたら、大変だからさ…」
息子にそう言われると、また、去り際の弘樹の冷たい目つきが思い出された。
「……わかったわ。でも、我慢できない時は、必ずお母さんに言うのよ」
「うん。わかってる」
裕はそれから、瑶子の心配を打ち消そうとするように、微笑んだ。
(…次のPTA会合の時に…学校に一度、相談してみよう)
瑶子は、愛する息子との夕餉の話題を楽しいものに変えながら、そう決意していた。


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